「大みそかの終夜運転」取りやめは「超異常事態」 いつ始まった? 取りやめはいつ以来?

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利用者の大多数は初詣客

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、東京都知事、埼玉・千葉・神奈川の各県知事は2020(令和2)年12月16日、鉄道会社各社に対し、大みそかの晩に列車を夜通し運行する終夜運転を取りやめるよう要請した。長年の慣例もコロナの影響からは逃れられなかったわけだが、ではそもそもこの終夜運転とはどういう歴史があるのか。鉄道ジャーナリストの梅原淳氏が解説する。

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 要請を受け、大みそかに終夜運転を予定していたJR東日本、京成電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄、東京メトロ、東京都交通局(都営地下鉄)、埼玉高速鉄道、多摩都市モノレール、東京臨海高速鉄道、湘南モノレール、江ノ島電鉄の各社は相次いで中止を発表する。

 この動きは全国にも波及し、京阪神圏ではJR西日本、阪急電鉄、大阪メトロ(地下鉄)、能勢電鉄、水間鉄道、岡山地区ではJR西日本、九州地区では西日本鉄道も相前後して計画していた大みそかの終夜運転を取りやめるという。

 誤解のないように言っておきたい点として、大みそかの終夜運転は新型コロナウイルスの感染を拡大させる原因と断定されたのではない。

 利用者の大多数は初詣客であり、著名な神社や寺に多くの参拝者が訪れて密集、密接状態となるのは感染予防の観点からよろしくないと考えられたからである。

 大みそかの終夜運転の規模は毎年少しずつ変化しており、先に名を挙げた鉄道会社以外でもかつては実施されていたという例も多い。

 ともあれ、大みそかの終夜運転の規模が最も大きいJR東日本について言うと、今回のように12月31日の終電後、そして1月1日の始発電車前の時間帯に初詣客を対象とした列車が運転されない年は、1987(昭和62)年4月1日の発足以来初めてだという。

 少なくとも平成の時代には毎年行われていた大みそかの終夜運転は、果たしていつから始まったのであろうか。

国鉄の終夜運転はいつから?

 鉄道会社の社史などを見ても載っていない。

 新聞の記事で当たってみると、どうやら今から118年前の1902(明治35)年の大みそかから始まったらしい。

 場所は東京で、終夜運転を行ったのは東京電車鉄道という鉄道会社、区間は新橋-上野-浅草間であったという。

 今日の東京メトロ銀座線や都営地下鉄浅草線によって結ばれている区間だ。
 
 東京電車鉄道は道路に線路を敷いて営業を実施していた鉄道会社で、今日の東京都交通局が運行している都電の前身である。

 とはいえ、この年は社名に反して走っていた車両はモーターを動力とする電車ではない。鉄の車輪を装着してレールの上を走行する客車を馬が引く馬車鉄道であったのだ。

 終夜運転はたいそうな規模であったらしい。

 馬は延べ2000頭、馬を操る馬丁や車掌延べ1200人、車両延べ232台で1400台の馬車が通ると1902年12月31付け朝日新聞朝刊の記事に載っていた。

 どういう趣旨の情報かは不明だが、馬は青森県と岩手県との一部にまたがる南部地方産だそうで、要するに頑強で酷使に耐える馬を取りそろえたから、安心して利用してほしいと言いたかったのかもしれない。

 今日のJRの前身となる国有鉄道(国鉄)で大みそかに終夜運転が実施されたのはいつであろうか。

 1921(大正10)年12月29日付けの朝日新聞朝刊によると、この年の大みそかかららしい。

 現在のJR東日本の首都圏の区間で、具体的には山手線、そして今日の京浜東北線のうち桜木町~上野間、同じく中央線のうち東京~中野間だ。

 列車がどのくらいの頻度で走っていたのかはよくはわからない。

 新聞を見ると、1905(明治38)年から昭和初期にかけて、東京では毎年10月12日の晩にも終夜運転が行われていたことがわかる。

 1928(昭和3)年の終夜運転では今日の京浜東北線の桜木町-赤羽間で10分おき、山手線・赤羽線・中央線の東京~荻窪間で13~15分おきに列車が運行されていたそうだ。

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