栗山監督は来年10年目だけど……球界には1試合も指揮を執らなかった“幻の監督”が二人もいた!

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 今シーズンのパ・リーグで5位に終わった日本ハムの栗山英樹監督が、2012年に就任して以来10年目となる2021年シーズンも引き続き指揮を執る。日本ハムでは大沢啓二の8年連続を抜きすでに球団記録となっているが、他球団を見ても10年連続は1981年から90年までオリックスを率いた上田利治以来で、近年では“異例の長期政権”だ。

 史上最も長く同一球団を率いたのは、終戦直後の46年から68年まで実に「23年間」も南海(現ソフトバンク)の監督を務めた鶴岡一人である。現代では到底あり得ない、金田正一(国鉄→巨人)の通算400勝、王貞治(巨人)の通算868本塁打などと並ぶ永久不滅の記録といえるだろう。

 23年間に積み上げた勝利は、1773勝を数え2位の三原侑(西鉄ほか)の1687勝、3位の藤本定義(阪神ほか)の1657勝を抑え歴代1位。しかも勝率.609は通算500勝以上の監督の中で唯一の6割台。在任期間の長さだけではなく11回のリーグ優勝を記録した実績もナンバーワンの監督といえる。

「グラウンドには銭が落ちている。銭が欲しけりゃ一生懸命練習しろ」との名言でも有名な鶴岡は「親分」の愛称が知られるように豪気な性格ながら人が良く、選手の面倒見もいい人物だった。

 しかし、その一方で戦時中、陸軍の中隊長として200人の部下を率いていた経験を野球に持ち込んだことを「軍隊のやり方そのままの精神野球だった。技術的なことを教えられたことは一度もない」と後年、自身の監督解任をめぐって鶴岡との確執が噂された野村克也が自書で批判したこともあるなど、その指導方法には賛否両論があったようだ。

 そんな鶴岡が「1人の人間がいつまでもやっていては球団の発展は望めない」と自ら勇退を発表したのは65年11月13日のことだった。後任にはヘッドコーチの蔭山和夫を指名。20年ぶりの監督交代が行われることとなった。

 ところが、事態は思わぬ方向へと動く。4日後の17日に蔭山が38歳の若さで急死してしまったのだ。監督勇退を表明していた鶴岡の元にはサンケイ(現ヤクルト)、東京(現ロッテ)から監督就任のオファーが届いており、鶴岡は18日に結論を出すことを両球団に伝えていたという。しかし、蔭山の急死で話は白紙に戻り、最終的には鶴岡が勇退を撤回して南海に戻ることとなった。

 こうして、正式に発表されていながら実際には指揮を執ることのなかった蔭山の「0日」が史上最短監督となっているが、こうしたケースはもう1例ある。

 76年、太平洋(現西武)はMLBのジャイアンツ、ドジャーズの監督として優勝3回、うちワールドシリーズ制覇1回、通算2008勝をマークしたレオ・ドローチャーと契約した。大物外国人監督の誕生が話題になったものの、契約直後にドローチャーが病気で倒れ来日が不可能に。ドローチャー監督は幻となってしまった。

 実際に指揮を執った監督での最短記録の持ち主は75年のジョー・ルーツ(広島)だ。前年まで3年連続最下位に甘んじていたチームを任されたルーツは、負け犬根性が染みついていた選手の意識を一変させ、闘争心を植えつけるために大胆なトレード、思い切ったコンバートなどさまざまな施策を敢行。後に「赤ヘル軍団」と呼ばれるようになる赤い帽子をそれまでの紺に変えて採用したのもその1つだった。

 つねに先頭に立って選手を鼓舞し続けていたルーツだったが、4月27日の阪神戦で審判の判定に激高して暴行、退場処分になった際、退場を認めようとしなかったルーツを球団代表が説得するためにグラウンドに降りたことに対して「グラウンドでは監督に全権があるという約束を破った」として辞意を表明。球団の慰留にも耳を貸さず「15試合」で辞任した。

 その後を引き継いだのは古葉竹識。この年、広島が旋風を巻き起こし球団創設25年目で初優勝したのも、わずか15試合とはいえルーツが種を蒔いたからこそであることは間違いない。その功績を忘れることはできないだろう。

 さて、これまで多くの監督が誕生したが、最年長・最年少の監督は誰なのか調べてみた。すると、最年長は野村克也だった。70年、35歳で南海の選手兼監督に就任して以来、ヤクルト、阪神を経て2006年に71歳で楽天へ。09年まで4年間監督を務めたが、最終年の74歳が現在のところ日本での監督歴任の最年長となっている。人生100年時代の今、74歳という最年長記録を更新する監督が出てくることもあるかもしれない。

 しかし、上には上がいる。目をMLBに向けるとコニー・マックは1894年からパイレーツの監督を3年間務めた後、1901年から50年まで何と50年間、87歳になるまでアスレチックスを率いていた。その間、3731勝3948敗と、在任期間も年齢も勝利数もとてつもない記録を残しているマックだが、これには秘密がある。実は、マックは球団の共同経営者の1人であり、それゆえ50年間も監督をやり続けることができたのだ。それにしても、半世紀も同一球団の監督を務めるとは普通ではあり得ない。これまた今後絶対に破られることのない記録だろう。

 話を日本に戻して最年少監督はといえば、44年、25歳で巨人の監督に就任した藤本英雄ということになる。この年、藤本はエースで3番を打ち監督を務めた、まさにチームの柱だった。このほか、20代で監督となったのは62年の中西太(西鉄)の28歳、前出の鶴岡一人の29歳しかなく、そればかりか今では30代での就任も珍しく、19年に38歳で就任した楽天の平石洋介は、87年に39歳で中日の監督になった星野仙一以来32年ぶりのことだった。こちらも今後記録を更新する監督が現れるかどうか、大いに注目したいところだ。

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月29日掲載