今も忘れない丹波哲郎さんに聞いた4つの疑問、その日の夜、私が高熱を出したワケ

ペリー荻野  ペリーが出会った時代劇の100人 エンタメ 芸能 2020年12月16日掲載

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 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第3回は、丹波哲郎(1922~2006年)だ。

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 長年、時代劇俳優インタビューをしてきたが、その中で忘れようにも忘れられないひとりが、この人。丹波哲郎である。

 1962年生まれの筆者にとって丹波哲郎といえば、物心ついたときにはすでに「キイハンター」(TBS:1968~1973年)や「Gメン’75」(同:1975~1982)のボスであり、映画「007は二度死ぬ」(ユナイテッド・アーティスツ:1967年)などで知られる国際スターであった。

 名家の生まれで、学徒動員から中央大学に復学、卒業後、GHQでアルバイトをしたものの、実はあまり英語ができなかったとか、文化座から新東宝に入社し、ギャング映画やコメディ(柳家金語楼の主演作では女装したことも!)など、たくさんの作品に出演していると知ったのは、ずっと後のことだった。

 フリーになってからも出演作は実に多彩で、丹波時代劇については、調べれば調べるほど確認したいことがいろいろ出てきた。

 戦前から多くの名優が演じてきた隻眼隻手の異色ヒーロー「丹下左膳」役の際、左手だけで戦うはずの左膳が、丹波版ではなぜか右手で刀を持っていること、盟友・五社英雄監督により大人気となった時代劇「三匹の侍」(フジテレビ:1963~1969年)をさっさと降板したこと、浮かれたバブル期に突如「円空」(NHK:1988年)となって登場したこと、セリフを覚えないことで有名とされるが、セリフが多いことで知られる橋田壽賀子作の大河ドラマ「いのち」(NHK:1986年)や「春日局」(同:1989年)に出演していたことなどなど。

 取材はご自宅で。当時はスマホなどなく、手描きのいい加減な地図があるだけ。そこで駅前の交番で尋ねると、すぐさま「丹波さんのお宅はあっち!」と教えてくれた。近所の人に聞いても「あそこですよ!」と即答。みんなが知ってる丹波邸。さすがだ。

 そして、始まったインタビュー。ファンが描いたという大きな肖像画を背にどっかり座ったご本人に話を聞いたので、私は「二人の丹波」に見つめられている感じ。威圧感半端ない。しかし、なぜか私のペンネームが気になった様子で、「『鬼平』? あれはいい役だったな。聞いてるか、ペリー!!」「わかったか、ペリー!!」といちいち連呼。私もつい噴き出してしまい、二人で「わっはっは」と笑いあうというすごい展開になってしまった。

「鬼平犯科帳」(NETテレビ[現・テレビ朝日])は、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公にした池波正太郎の代表作で、昭和44(1969)年から昭和47(1972)まで八代目松本幸四郎(白鷗)が演じていたが、二代目となった丹波版(1975年)はとてもモダン。タイトルバックからして、シャープなイラストにキャスト名も横書きで、「ルパン三世」のテーマなどでも知られる山下毅雄の音楽に乗って始まる。丹波鬼平は、着流し姿もトレンチコートに通じるスマートさだ。密偵のおまさが野際陽子だったので、「キイハンター」を思い出す。

 当時の資料によれば、丹波哲郎は原作を読み、さっそく鬼平役に自ら立候補したが、そのときにはすでに松本幸四郎の主演が決まっていたという。約6年後に念願かなった「鬼平」は「Gメン’75」と同じ75年だから、当時、丹波哲郎は東京でも江戸でもボスだったのである。

 超多忙だったはずだが、「オレはどの番組でも外には出ないで、報告を聞くだけ。セリフは『何?』『よし、行け』ばっかりだったから、たいしたことない」。改めて「鬼平」の第1話「用心棒」を観てみたら、丹波鬼平初登場の第一声は「何?」だった。

 なお、後年、中村吉右衛門が主演し、当たり役とした「鬼平」シリーズ(フジテレビ)では、「老盗の夢」(1993年)の回に老いた大盗賊・蓑火の喜之助役でゲスト出演。すさまじい立ち回りを見せた。ご本人によると殺陣は得意で「どんな役でもやれと言われればできちゃうんだよ」。

 というところで、確認事項をぶつけてみた。

「三匹の侍」は、三匹の浪人が旅する場所をフジテレビのスタジオに砂を敷いて作るため「セットがほこりっぽくて」降板したという。

 また、「円空」は当時、岐阜の会社のCMに出ており、地元ゆかりの円空のドラマをと丹波発の企画だった。放送のタイミングがバブル期に盛んだった地方博のひとつ「ぎふ中部未来博」開幕直前だったことを考えると、博覧会を盛り上げようという意図だった気もするが、それにしてもコツコツと仏を彫り続けた円空が、僧衣をまとった丹波哲郎主演になった途端、僧兵みたいに見えたのはびっくりだった。これでイメージアップになったのかしらん……。

 もっとびっくりだったのは「丹下左膳」の話で、実は2回この役をやっていて、1度目、昭和33(1958)年のドラマ(日本テレビ)は歴代俳優と同じく左手で刀を握ったが、昭和38(1963)年、2回目の映画版(松竹京都)では右手に。その理由は、たった一言。「俺は右利きだからな」。なるほど……こらこら、納得していいのかと今は思うが、その場ではなんか納得してしまうのだ。

 昭和38(1963)年の名作映画「十三人の刺客」(東映)では、目付の新左衛門(片岡千恵蔵)に、悪殿様の抹殺を命じる老中の役。一方、「長七郎江戸日記」(日本テレビ)のスペシャル放送「怨霊見参!長七郎、弟と対決」(1985年)では、「弟が悪事を?」と苦悩する松平長七郎(里見浩太朗)を追い詰めようとする柳生宗冬に。貫禄十分の役が多い。

 ご本人的には、「俺は、どこへ行っても偉そうにしていると言われるんだよ。なんでだろうな、ペリー!?」と思っていたらしい。

 セリフを覚えないとか、仕事は午後からがいいとか、いろいろ言われることは十分承知。「俺はどこにでも平等に遅刻する」のである。ただし、「春日局」の徳川家康役では、数ページに及ぶ橋田流の長いセリフがあり、「これは俺への挑戦か」と受け止め、一発OKを出したという。セリフを覚えただけで、なんだかいい話に聞こえるのがすごい。

 あっという間に時間が過ぎて、失礼しようとすると、出版されたばかりの「大俳優 丹波哲郎」(ダーティ工藤・著 ワイズ出版)を取り出され、「読みなさい」「サインする」と言われたので待っていると、「君、名前は?」 さっきからペリーっておっしゃってましたよ!! 「あ、そうだったな」

 すっかりボスのペースに乗せられてしまった。おまけに、あまりに「ペリー!」を連発されたせいか、私はその晩、40度もの「丹波熱」を出というオチまでついた。恐るべき丹波パワーであった。

ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。

週刊新潮WEB取材班編集