41年前の松原みき「真夜中のドア」が世界で大ヒット 作曲した林哲司氏が語る“思い出”

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 1979年にリリースされた松原みきの『真夜中のドア/Stay With Me』が現在、世界中で大ヒットしている。サブスクリプション(定額聞き放題)サービスの「Spotify」グローバルバイラルチャートで世界3位(12月3日現在)、「Apple Music J-Popランキング」では50カ国で1位を記録し、92カ国でトップ10に入ったという。この曲の作曲と編曲を担当した林哲司氏(71)に、41年前の思い出を語ってもらった。

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 とにかく、『真夜中のドア』の勢いはすごい。約1年前から注目され始め、「Spotify」ではこの1年で約460万回再生された。11月末の時点の「Apple Music J-Popランキング」では12カ国で1位、47カ国でトップ10に入った。それがわずか数日のうちに50カ国で1位、トップ10以内に92カ国で入る快進撃をみせているのだ。41年前の曲がなぜ今、世界中で大ヒットしているのか。

「日本のシティポップスがトレンドとして捉えられているのでしょうか。正直言って、なにが起こっているのかわかりません」

 と驚くのは、林氏。

 林氏はこれまで、竹内まりや、南沙織、浅野ゆうこ、柏原芳恵、菊池桃子、小泉今日子、中森明菜、松田聖子、美空ひばりなど、これまで2000曲以上を作曲している。

 79年11月5日に発売された『真夜中のドア』は、松原のデビュー曲だった。彼女は大阪・岸和田市出身。母親はクレージーキャッツと共演したジャズ歌手で、3歳でピアノを習い、ジャズを始めた。中学時代からロックバンドでキーボードを演奏。高3の時、歌手になるため上京し、六本木のジャズスポットに飛び入りで参加して絶賛された。デビュー時は19歳だった。

濡れたような声質

「キャニオンからポップス系の新人をデビューさせるので、ディレクターからオファーがありました。思いっきり洋楽で行こうと言われました。普通、洋楽系の曲でも、日本人にアピールするために、日本人の琴線に触れるような日本的要素を盛り込むものです。それが、思いっきり洋楽でというリクエストだったので、異例だと思いましたね」

 林氏はいつも作曲する際、歌手の声質を重要視するという。

「彼女がそれまで歌った曲を聞かせていただきましたが、ディレクターからは声質にこだわらず、自分のイメージで書いて欲しいと言われました。これもまた異例のことでした」

 作詞は、三浦徳子氏だった。

「ノリの良い言葉を選んでいただいて、サビの『Stay With Me』はポップ感にあふれています」

 当時の松原みきは、どんな女性だったのか。

「私が初めてお会いした時はまだ10代で、すごく可愛くて華奢な感じの子でした。アイドルとしてやっていけるくらい愛くるしかったのですが、歌ってみると、濡れたような声質が印象的でした。顔は子どもなのに、ジャジーで大人の声。そのギャップが魅力でした」

 デビュー後まもなく、松原と曲の売り込みのために、三重県へ。

「商業ホールでイベントを行ったのです。彼女は、素直で、明るい子。でもマイクの前に立つと雰囲気がガラッと変わりますね。大人びてくるのです。当時は歌謡曲が主流でしたから、シティポップスのメロディは珍しがられ、お客さんの反応はイマイチでした。『真夜中のドア』の直前、竹内まりやの『SEPTEMBER』を作曲したのですが、2曲ともヒットして、シティポップスが認知されるようになりました」

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