小柳ルミ子が語る芸能生活50年 「人の何倍も生きている」

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 昭和の名曲に名を連ねる「わたしの城下町」での歌手デビューは1971年。女優やダンサーとしても活躍する小柳ルミ子(68)が、半世紀の長きにわたる芸能生活を振り返った。

「浮き沈みの激しい芸能界に身を置いて50年という月日を過ごしてこられたことは、自分でも夢を見ているみたいな感覚です。思えば自分にも周囲にも、お客さまにも甘えることなく誠心誠意、芸事に向き合ってきたつもり。決して順風満帆とは言えない山あり谷ありの日々でしたが、有森裕子さんの言葉をお借りして、“自分で自分を誉めてあげたい”という心境ですね」

 業界関係者が“完璧主義者”と呼ぶのは、妥協を許さない彼女のプロ意識の高さが評されてのことだが、

「それはあくまで仕事場での私。家では深夜にテレビを観ながらカップラーメンを食べたり、割と自堕落な生活を送っていて……」

 と意外な一面を明かす。

「私だって風邪をこじらせて喉や体調が優れない時や、足をケガして“納得のいくパフォーマンスができないかも”と弱気になることもある。でも、私が熱を出していようが骨折していようが、お客さまには関係ないでしょ。だから私は、無理をしてでも目の前のステージで全力を尽くす。そうしないと後で絶対に後悔してしまいますから」

 デビュー当時から、直立不動で愛らしく歌う姿は“隣のルミちゃん”と親しまれ、瞬く間に天地真理、南沙織とともに「三人娘」と呼ばれる国民的なアイドルとなったのは周知の通りだ。

後悔はありません

 ところが小柳は、30歳を前にイメージチェンジ。83年発売の「お久しぶりね」や84年の「今さらジロー」をステージや歌番組で歌う際には、セクシーなドレスや網タイツのハイレグ姿でダンスを披露。一部のファンは“清純派”を脱却した彼女から離れていった。

「多くの方に“小柳ルミ子のイメージと違う”と言われちゃって。でも、3歳からバレエを習っていた私にとって、踊ることはアイデンティティの根幹部分。この時に限らず、プライベートでお騒がせした時も、世間や多くのファンの方々、そしてマスコミに叩かれました。それでも私は、常に自分が信じる道を選んできました。だから、いまでも後悔はありません」

 9月に自著『もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか』(徳間書店)を上梓したほか、来春には新曲の発売を予定しており、目下、その準備に忙殺されているという。

「嬉しいことに、歌手人生で初めて事務所から“ルミ子さんが好きな曲を歌うことが一番良いと思う”と言って頂いて。アレンジのイメージをお伝えしたりと、ゼロから曲作りにも参加した“ルミ子プロデュース”になる予定」

 時間に追われる毎日ながら、大好きなサッカー観戦は一日も欠かさないそうだ。

「深夜から朝方まで観ているので、先日も“いつ寝てるの?”なんて聞かれたり。1日3~4時間も寝れば充分だから、最近、つくづく実感しているんです。“私は人の何倍も充実した人生を生きているぞ”ってね」

 小柳は、自身の年齢に触れられることをまったく厭わない。

「すべては気の持ち方だから。例えば“もう還暦だから”と何かを諦めるのは、年齢を理由にして自分に言い訳しているに過ぎません。“もう”と思った時点で人間の成長は止まってしまう。私は女優業に進出して、ヌードにもなりました。理由はどれも自分の成長に必要だと確信したから。今後も“まだまだ”という意識で歌やダンス、お芝居にも挑戦していくつもりです」

“引退”や“終活”の2文字とは、まだまだ無縁の生活になりそうだ。

週刊新潮 2020年11月26日号掲載

ワイド特集「未収穫の秋」より

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