選挙違反、出版妨害、破門…「創価学会」設立90年で振り返る3大事件
今年の11月18日は、創価学会が設立されて90年の節目である。信者でもある有名女優の結婚でその存在が改めて注目される昨今だが、今日の巨大宗教となるまでには、様々な波紋を日本社会に広げてきた。ライターの片山一樹氏が、創価学会の「3大事件」を振り返る。
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2020年は、日本最大の新興宗教、創価学会の創立90周年の年である。名誉会長の池田大作氏(以下、敬称略)が公の場に姿を現さなくなってから10年が経つが、いまだにその社会的影響力は大きい。今回は節目の年に、社会と組織の在り方に大きく影響を与えた創価学会の3大事件をご紹介しよう。
池田大作も逮捕された大阪事件
まずは1957(昭和32)年に起きた「大阪事件」だ。これは、参議院大阪地方区の補欠選挙の際、買収や戸別訪問をした容疑で、約40名の創価学会員が逮捕されたというもの。彼らの多くが起訴され有罪判決を受けた。
当時、創価学会は公明党を結成しておらず、第2代会長の戸田城聖が1954(昭和29)年に設立した「文化部」という政治組織を会内に持っているだけであった。しかしながら、1955(昭和30)年の第3回統一地方選挙では自治体議会選挙に候補者を擁立、合計で53議席を得る躍進を見せ、さらに1956(昭和31)年には初の国政選挙に挑み、3人の当選者を出した。政治活動の勢いを強めていたのだ。
その一方で、多くの選挙違反者も出していた。薬師寺克行『公明党 創価学会と50年の軌跡』(中公新書)によると、1954年の選挙では大阪府内で1000件以上の戸別訪問が行われ、110人が起訴されたという。そしてこのような、なりふり構わぬ選挙活動の末に起こったのが「大阪事件」だった。
「大阪事件」では買収や戸別訪問などを実行した末端の信者が逮捕されただけではなく、当時の理事長であった小泉隆や、渉外部長という役職についていた池田も逮捕されている。ただ、小泉は翌年に無罪判決が下され、池田も1962(昭和37)年1月25日に大阪地方裁判所判決で無罪判決が下された。
この「大阪事件」は創価学会において、国家権力を中心とした権力一般との戦いを象徴するものとして位置づけられている。
創価学会と国家権力との軋轢は戦前から始まったとされる。初代会長の牧口常三郎と2代会長の戸田城聖は、1943(昭和18)年7月に治安維持法違反で逮捕され、翌年の11月18日に牧口は獄中で亡くなる。この“殉教”は、期せずして創価学会の創立記念日と同日であった。
創価学会では、大阪事件とこの牧口の“殉教”を結び付けて語られることが多い。創価学会系の出版社・潮出版社から刊行されている『池田大作の軌跡』には〈池田会長の無罪判決は、狂気の思想弾圧で獄死した牧口会長、同じく獄に繋がれた戸田会長の仇を討つものでもあったのである〉と、初代から3代までの会長が権力と戦ってきたことを強調する。
池田が逮捕されたのが、「1957(昭和32)年7月3日の午後7時」というのもポイントだ。これは、2代会長の戸田が治安維持法で逮捕された日時と同時刻だと言われており、これを受けて池田は「出獄と入獄の日に師弟あり」という詩を詠んだという。ちなみに公明党が結党されたのは1964(昭和39)年11月17日。創立記念日である11月18日と1日違いだ。創価学会の元中央幹部は、
「設立日からも分かるように、公明党は創価学会の“分身”として作られた。牧口先生の獄中死や大阪事件など、国家権力にいじめられてきた学会を守る役割も含めて公明党は設立された」
と証言する。
さらに、創価大学では「大阪事件」を教訓として、法曹の養成に力を入れている側面があるという。同大の偏差値は学部平均で50程度(東進ハイスクール調べ)ながら、昨年度の大学別司法試験合格者数・合格率ランキングで、創価大学法科大学院は全体で17位、私大では6位。同程度の偏差値である東海大学が49位であること、創価大が僅差で迫る16位が名門の筑波大学であることを鑑みると、偏差値以上の成果をあげているといえるかもしれない。
創価学園(幼稚園から高校までが含まれる)や創価大学の出身者に話を聞くと、在学中には創立者の池田から「君たちはたくさん努力して社会で偉くなるんだよ。偉くなって学会を守るんだよ」と事あるごとに言われていたという。いかに創価学会は権力を意識し、その防衛策として人材育成に取り組んでいるのかが窺えるエピソードである。「大阪事件」は創価学会にとって、国家権力への警戒心を強め、その対策を強く意識するきっかけとなった出来事だったと言えよう。
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