選挙違反、出版妨害、破門…「創価学会」設立90年で振り返る3大事件

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田中角栄も登場した言論出版妨害事件

 次に紹介するのは言論出版妨害事件だ。これは1969(昭和44)年に政治学者の藤原弘達が上梓した『創価学会を斬る』(日新報道)の出版をめぐり、創価学会が内容の書き直しや出版の中止を求め、関係者が書店や取次に嫌がらせをするなどして出版の妨害をしたとされる事件だ。

 創価学会や公明党の動きに、著者の藤原も黙ってはいなかった。公明党都議・藤原行正と後の第5代会長・秋谷栄之助が自宅を訪問した際に「出版中止を求められ、金銭目的の脅迫を受けた」と主張し、その様子を録音した“隠しテープ”の内容を公開して世間の注目を集めた。さらに、当時、公明党と近かった田中角栄が藤原弘達へ“圧力”をかけたという報道が「しんぶん赤旗」にも掲載された。国家権力を利用して創価学会が言論の自由をおびやかしたという印象が世間に広まった事件でもあった。

 ただし、当然、創価学会と公明党の見解は異なった。隠しテープの内容が掲載された『週刊朝日』(1970年3月20日号)にはまったく脅迫と言える文言がなく、むしろ藤原弘達の態度のほうが威圧的であったと指摘。田中も後に記者会見で、

〈これはプライベートなもので公明党が私に頼んだという問題ではない。藤原君とは前から親しい仲なので「ようよう」といっただけで、公明党に頼まれたというものではない。少しおせっかいをしただけだ〉(「朝日新聞」1970年1月7日)と、証言している。

 もちろん、田中がこのように証言しているというだけで、真相は闇の中だ。しかし、事態を重く見た創価学会は対応に追われた。1970(昭和45)年5月3日には、創価学会本部総会で、当時の会長であった池田が謝罪。公明党の綱領に含まれていた「仏法民主主義」などの宗教的な用語を削除し、創価学会の幹部が公明党の議員を兼務するという人事制度を撤廃し、両組織を独立させた。それまで表面化させていた宗教的な主張も取り下げ、世俗的な政治団体として再出発を切ったのである。

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