賭け・逮捕・ドラッグ・コロナからマスターズ「D・ジョンソン」波瀾万丈の人間味 風の向こう側(83)

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 コロナ禍で4月から11月に延期され、史上初の「秋開催」となった今年の「マスターズ」は、36歳の米国人、ダスティン・ジョンソンの勝利で幕を閉じた。

 ウイニングパットを沈め、クラブハウスへと進んでいったジョンソンをマスターズ2勝のバッバ・ワトソン(42)がグリーンジャケット姿で出迎えていた。

 そのワトソンにジョンソンは、こう囁いたそうだ。

「そのジャケット、いつも欲しいと思っていたんだ」

 それは、ジョンソンの心の底から溢れ出したピュアな声だったのだろう。

 2位に5打差をつけての圧勝。通算20アンダーは大会記録。文句なしの偉業である。しかし、それでも米メディアの中には厳しい見方をする向きがあった。

 これまでジョンソンはメジャー大会の最終日を首位で迎えたことが4度もあったが、その中で勝利したことは1度もなかった。それなのに5度目となった今年のマスターズでは、なぜ勝てたのか。米国のあるゴルフ雑誌は、こう記していた。

「いつものマスターズなら、大観衆の拍手やどよめきが嫌でも聞こえてきて、それが最終日に優勝争いをしている選手の心を揺さぶるもの。だが、無観客だった今年は、それがなかった」

 さらに、こんな記述もあった。

「いつものマスターズなら、最終日最終組のティタイムは午後2時過ぎで、スタート前の長い待ち時間に選手たちの心は複雑に揺れまくる。しかし今年は、午後4時からのNFLのTV中継開始前にマスターズを終了させる必要上、最終組は午前9時半のスタートとなったおかげで、ジョンソンはあれこれ考えて緊張する時間を経験せずに済んだ」

 そうした要因は、たとえジョンソン勝利の小さな手助けになったとしても、勝利の決め手ではもちろんなかった。そうやってシニカルな見方が出てくる背景には、彼にまつわる過去の暗い影やグレーな噂が影響しているのかもしれない。

 しかし、ワトソンのグリーンジャケット姿を見た途端、「それ欲しかったんだ」と少年のように囁いたジョンソンの想いは純粋だ。

 過去は過去。いろんなことが起こり、いろんなことを経験するからこその人生ではないだろうか。そして、大切なのは、その「いろいろ」を生かすことができるかどうかだ。

 ジョンソンは見事に「いろいろ」を生かし、「子どものころから夢見てきた」というマスターズ制覇を達成し、「いつも欲しいと思っていた」というグリーンジャケットを36歳にして手に入れた。

 そんな彼の半生を振り返った。

謎の少年

 米南東部のサウスカロライナ州コロンビアで生まれ育ち、地元のゴルフクラブのヘッドプロをしていた父親から弟オースティンとともにゴルフの手ほどきを受けたジョンソンは、幼いころから「ゴルフ上手な少年」だった。近郊のゴルフメッカ、マートルビーチにやってくる大人のゴルファーたちを相手に「僕と勝負しませんか」と持ち掛け、必ず勝利する謎の少年。それは、お金のためではなく、腕を磨くため、勝負強さを養うためだったのだろう。見知らぬ大人たちに交じって歓談することもなく黙々とプレーし、1打1打が勝敗を左右する厳しさを肌で感じ、孤独にも己にも打ち克つ。ジョンソンはそんな経験を積みながら少年時代を過ごした。

 地元のハイスクールに通っていた2001年。ジョンソンの友人数人がピストルを盗んで逮捕された。ジョンソンはその友人たちと親しかったという理由で警察の取り調べを受けたが、最終的にはお咎めなしになったそうだ。

 2007年にプロ転向。翌年から米ツアーで戦い始めた彼は、その年の秋、「ターニングストーン・リゾート選手権」でルーキー優勝を果たし、2009年2月には「AT&Tぺブルビーチ・ナショナル・プロアマ」で早くも2勝目を達成。その優勝会見で、過去の事件について問われたジョンソンは、こう言った。

「遠い昔の出来事だ。あのとき僕は、8年後にこうして優勝する自分を想像すらしていなかった」

 その言葉は、事件以降の8年間、ジョンソンが必死の努力を重ねて米ツアー選手となり、優勝に辿り着いたことを示していた。それはきっと想像を絶するほどの苦しい道程だったのだと思う。

突如姿を消した

 地元のコースタル・カロライナ大学に進学したジョンソンは米南部のカレッジゴルフを席捲。「驚異的な飛ばし屋がいる」という噂はコロンビアから州内外へと広まり、大地主のウィード家の耳にも入った。

 ウィード家は所有していた豆畑にゴルフ練習場を建て、以後、その練習場がジョンソンの練習の拠点になった。

 それが発端となり、その後、ウィード家はゴルフ場建設を手掛ける企業「ウィード・ヒル」へと成長していったそうだが、あのときウィード家から「ホーム」と呼べる練習場を授かっていなかったら、「2020年マスターズ・チャンプのDJ」は誕生していなかったのかもしれない。

 大学卒業後の2007年、ジョンソンは当時の米ツアー登竜門だった「Qスクール」(予選会)に1次予選から挑み、2次予選、最終予選を突破して2008年のツアー出場権を獲得した。全3ステージを通しての合格は挑戦者のわずか1%という狭き門。その隙間を潜り抜け、彼は米ツアーへやってきた。それは、彼がひたすら耐え忍び、努力を積んだ成果だった。

 しかし、2009年にペブルビーチで通算2勝目を挙げた翌月、「ジョンソン逮捕」のニュースが飛び込み、唖然とさせられた。DUI(アルコールまたは薬物の影響下で車を運転)で逮捕された彼は数時間後に釈放されたが、トッププレーヤーの逮捕は米ゴルフ界に衝撃をもたらした。

 そんな経緯があったせいか、ジョンソンに対する世間の風当たりは、いつも強かった。

 ペブルビーチで開催された2010年「全米オープン」ではメジャー大会の最終日を初めて単独首位で迎えたが、大崩れして82を叩いた。すると「それみたことか」という論調の記事が出回り、「小心者」と揶揄する声がゴルフファンの間からも上がった。

 その2カ月後。「ウィスリング・ストレイツ」が舞台となった「全米プロ」の最終日、ジョンソンは72ホール目で2打目を打つ際、巨大なバンカーの中にいることに気付かず、ソールして打ったことで2罰打を科せられてプレーオフ進出を逃した。それでも腐ることなく、諦めることなく、いつも飄々とプレーし、毎年、勝利を重ねた。

 しかし、2014年の夏、突然、米ツアーから姿を消した。米ツアーは彼の欠場理由を「パーソナル・チャレンジ」という曖昧な言葉で煙に巻いたが、周囲からはドラッグ使用をはじめとするさまざまな憶測が出回った。

「奇妙な、でも悪くない1年だった」

 転機になったのは、長男テイタムくんが生まれたころからだった。2015年1月、息子を抱いたジョンソンの写真がSNSに出回り、彼の表情がそれまでとは一変して優しくなっていたことに誰もが驚いた。

 その翌月、ジョンソンは米ツアーにカムバックし、3月には世界選手権シリーズの「キャデラック選手権」を制して早々の完全復活をアピールした。

 翌2016年には全米オープンを制し、メジャー初優勝を果たした。だが、このときは、最終日の優勝争い真っ只中で「ジョンソンのボールが動いた」という嫌疑が持ち上がり、USGAの対処ミスで、ジョンソンは2罰打が科されるかどうかを保留されたままプレーを続けるという前代未聞の珍事に巻き込まれた。

 それでも黙々と戦い続け、2罰打の有無にかかわらず勝利できる状況へ持っていった彼の勝ちっぷりは、実に圧巻だった。

 そして、謝罪したUSGAに対して文句も恨み言も言わなかった彼の態度は、実に立派だった。

 その後も、彼の人生はやっぱり「山あり谷あり」だった。

 2017年は春先から絶好調で、出場3試合連続優勝を挙げ、「キャリアで最高の状態」で4月のマスターズを迎えた。しかし、宿舎の階段から転落し、腰を強打。初日のスタート前に自ら欠場を表明し、戦わずして「オーガスタ・ナショナル」から去っていった。

 その2カ月後、次男リバーくんが誕生した。

「家族のために頑張りたい」

 クールなジョンソンが父親としての熱い想いを口にした。その姿には、たくましさが感じられた。

 何が起こっても諦めず、どんなときも淡々と黙々と――その姿勢を、ジョンソンは終始、貫いている。

 そして今年。コロナ禍で再開された米ツアーで5戦3勝、2位が2回と、またしても「キャリアで最高」の状態を迎えたジョンソンは、マスターズが迫っていた10月に新型コロナウイルスに感染し、隔離生活を余儀なくされた。

 マスターズまでに回復できるかどうかが心配されたが、ジョンソンはマスターズ前週の「ヒューストン・オープン」で戦線復帰。文字通り「ぎりぎりセーフ」でオーガスタ・ナショナルに滑り込み、終わってみれば、グリーンジャケットを羽織って、うれし涙に頬を濡らしていた。

「コロナの症状は幸いにも軽かった。でも、ホテルの部屋に隔離されていた10日間はとても長かった。マスターズを欠場することにはならないと信じていたが、マスターズ直前に戦線から離れていることが、ただただ気がかりだった。間に合って良かった。外出が許可されてからの2週間のハードワークが実ってくれて良かった。僕はとてもラッキー。今は周囲への感謝の気持ちでいっぱいだ」

 誰も責めず、慌てず騒がず、冷静に現実を直視する。そして、父親になってからのジョンソンには、天から授かった幸運にも感謝を抱く人間味が加わり、それが彼を一層強くしているように思う。

「2020年はとても奇妙な1年だった。でも僕にとっては、悪くない1年だった」

 奇妙な1年。風変りな人生。いまなお世界のすべてが彼の味方ではない。

 しかし、何であれジョンソンは今、マスターズ・チャンピオンとして、世界ナンバー1として、誰よりも輝くゴルファーになった。

 そんな彼の人生は、そう、決して悪くない。

舩越園子
ゴルフジャーナリスト、2019年4月より武蔵丘短期大学客員教授。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。最新刊に『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)がある。

Foresight 2020年11月23日掲載

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