映画『ばるぼら』 稲垣吾郎の「なんちゃってインテリ」という魅力

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11月20日公開『ばるぼら』★★☆☆☆(星2つ)

――愛の中にはつねに幾分かの狂気がある。しかし、狂気の中にはつねにまた、幾分かの理性がある(ニーチェ)

「漫画の神様」手塚治虫の異色作を実子・手塚眞が監督になり映画化した『ばるぼら』は、こんな字幕で始まる。なんだか、いきなり高尚である。

 疲れた顔をした人たちが群衆として新宿の街を行き交っている。汗と埃、人いきれ。林立する高層ビル、高架下の薄暗いトンネル――その壁に背をもたれて、ひとりの少女が座っている。二階堂ふみ(26)演じるばるぼらだ。酒瓶を手に彼女はつぶやく。

「……ヴィオロンのため息の 身に染みて ひたぶるにうら悲し……げに我はうらびれてここかしこ……とび散ろう落ち葉……」

 やはり高尚な路上詩人のたわ言――と思いきやその言葉に、サングラス姿の男が足を止めた。そして答える。

「ヴェルレーヌだね」

 映画『太陽と月に背いて』(1995)でディカプリオ演じる美少年のアルチュール・ランボーと恋の逃避行をしていた、たしか19世紀フランス象徴派の放蕩詩人……。詩人の名を言い当てたのは、稲垣吾郎(46)演じる人気小説家・美倉洋介だ。

 西洋哲学・文学史への造詣が深いらしい、インテリ役の稲垣吾郎。少年時代は怪盗ルパンや名探偵ホームズ、小林芳雄くんが団長の少年探偵団に夢中だったという。赤川次郎や江戸川乱歩の世界にも親しんでいたそうだ。物語はそんな彼が、ばるぼらを家に連れ帰ったことで始まる同居生活を描くのだが、本作でより前面に押し出された「稲垣吾郎=インテリ」像について、考えてみたい。

慎吾ちゃんと吾郎ちゃん

 稲垣=インテリ像は古い。たとえば江川達也の大ヒット漫画を原作にした1994年のTVドラマ『東京大学物語』でもそれは描かれていた。IQ300でスポーツ万能、しかも超絶美男子。稲垣が演じたのは文字通り漫画でしかあり得ない、ハイパー受験生である。でも吾郎ちゃんはハマリ役だよね!そんな社会的合意が当時はまだあった(実際はただのインテリの物語ではないのだが、しかし稲垣=インテリ像が確立されていたゆえのキャスティングであることは間違いないだろう)。

 しかしそんな健全なインテリイメージは、『SmaSTATION!!』(2001年~2017年、テレビ朝日)のコーナー『月イチゴロー』への出演で、致命的に損なわれてしまったように思う。このコーナーは毎月、番組MCの香取慎吾が5本の新作映画をチョイスし、それを稲垣吾郎がレビューするという主旨だった。

 コーナー開始当初の香取くんは、何か鋭い“批評”みたいなものを、稲垣に期待していたフシがあった。当時すでに『an・an』誌上で「稲垣吾郎 シネマナビ!」を連載していたくらいだから、相当の映画通ではあるのだろう。ところがスマステで展開されるのは、意味不明な稲垣のしゃべり。当初、“バラエティ的に正しい”リアクションを見出せず、香取くんは困っていた。そしてある回で意を決して、こう言ったのだ。

「何が言いたのか、全然分かんないよ」――このとき香取くんは、稲垣をイジることに決めたのだ。その瞬間、司会の大下容子アナウンサーは吹き出していた。

“慎吾ちゃん”のツッコミで稲垣は、解放されたのだろうか? 以降“吾郎ちゃん”になった稲垣は、ツッコミを待っているかのような隙だらけのコメントを連発する。もちろん慎吾ちゃんはツッコむ。大下アナウンサーが失笑・苦笑する。そんなルーティンなやりとりが毎月、くり返されるようになったのだ。

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