大学が作るべきは世界を変える人材――出口治明(立命館アジア太平洋大学(APU)学長)【佐藤優の頂上対決】

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「気づき」はどこからくるか

出口 こういう話もあります。国際脳神経学会など先端の学会では、キーノートスピーカー(基調講演者)はだいたいノーベル賞受賞者など第一線の学者です。でも学会に参加した何千人かにアンケートを取って、どこで「気づき」を得られたかを聞くと、キーノートスピーチがすべてではないのですね。むしろ、久々に会った昔の同僚と話をしたり、たまたま横に座って初めて名刺交換をした学者との話の中からアイデアが出てくるといいます。つまりゴシップやチャットの中にヒントがある。これは3次元の場を共有し、五感を働かせるのが重要だということです。

佐藤 ヴィトゲンシュタインは、コーヒーの香りが説明できない人は、神について語れるはずがないと言っています。これからZoomでもいろいろなことが可能になるのでしょうが、香りは伝えられないでしょう。

出口 APUで一番大きな教室には300人が入りますが、オンラインを使えば千人でも2千人でも同時に講義が聞けます。そこはオンライン授業の素晴らしいところですが、それをもう一歩進めると、もっとも優れた学者の講義だけを聞けばいいという考え方になります。例えば、国際政治なら佐藤さんの講義を聞くのが一番いい。それは考え方としてはありです。

佐藤 私の授業はともかくとして、優れた講義を聞くことは重要です。

出口 でもそうやって1人の優れた学者の講義だけにすると、学問はどうなるのか。社会全体としての知の蓄積や継承、連続性が保てなくなってくる。

佐藤 学問においても多様性は必要です。それにハーバード大学の有名教授の講義なら、いまはネットなどでほとんど無料で聞けます。

出口 マサチューセッツ工科大学もそうです。

佐藤 それでもどうして年間800万、900万円を出してアメリカに留学するかといえば、そこはやはりWith whomがあり、もう一つはHowだと思います。

出口 なるほど、そこも重要ですね。

佐藤 どう勉強するかというノウハウも、対面でないと教えられないことが多い。例えばこの文献の中でここだけを見ればいいとしたら、それをどうやって判断するか。あるいは翻訳書がきちんとしたものかを、どう見極めるか。後者は本の真ん中あたりを見ればわかります。本は入り口と最後は丁寧に作ってありますから。真ん中あたりで訳文が乱れているのは、いい加減な仕事だったり時間不足だったりする。こうしたことは一緒にテキストを読み進めるとよくわかるのです。

社会を変える人を作る

出口 僕は、大学の理想のあり方は、972年にエジプトにできたアズハル大学だと思うのです。アズハルの3信条は入学随時、受講随時、卒業随時を謳っています。つまり勉強したかったらいつ来てもいいし、単位認定などしなくてもいい。そして勉強できたと思ったら出ていく。大学は、学生の自発的な学びを後押しする場です。

佐藤 自発的というのが重要で、私も同志社で教える時に単位認定をしないことを条件にしました。

出口 これは高校ですが、北海道に立命館慶祥高校という学校があります。ここの修学旅行が変わっていて、8コースから選べる。例えば、数学や物理に興味がある生徒だったらNASA、生物学や自然に興味のある子はガラパゴス。平和や人権に興味のある子はアウシュビッツへ連れていく。その年代は本当に感受性が強いので、帰ってくるとほとんどの生徒が何も言わなくても勝手に勉強し始めるのだそうです。

佐藤 私も1975年、高校1年の時に、中学時代の塾の先生の影響で社会主義に興味を持ち、ペンフレンドのいた東欧やソ連を40日間一人で旅をしました。それが人生の方向性を決めたところがありますね。

出口 教えるのだったら、感受性が強い中高生はものすごくやりがいがありますよ。

佐藤 その分、責任も大きい。マックス・ヴェーバーは『職業としての学問』で、教壇に立つ教師は、政治的な問題で自身の見解を抑えるべきだと言っています。中高生に対して、これしかないという教育をすると子供の将来が曲がってしまう。

出口 そこは気をつけないといけないですね。立命館慶祥の修学旅行のように本物をただ見せるだけでいい。

佐藤 一度学びを終えた社会人や退職した人が大学に戻ってくる「リカレント教育」についてはどう思われますか。

出口 大学の将来像の一つだとは思っています。オンライン授業を活用すれば、リカレント教育でアズハル大学が実現できるかもしれない。

佐藤 オンラインならいいかもしれませんね。ただキャンパスで学生と一緒にすると、学生に悪影響を与えることがある。私くらいの年代の人が上場企業やそこそこのメーカーを退職して学びにくるのですが、彼らは家にいても面白くないからやってくる。

出口 逃げてくるわけですね。

佐藤 ええ。ある程度のレベルの大学や大学院を出ていますから、先輩面して学生たちに説教をし始める人がいます。最近の若者は苦労を知らない、とか。

出口 それは有害無益の最たるものですね。

佐藤 大学院として定員を確保したいのはわかりますが、本当に学ぶ意欲がある人に来てほしい。

出口 やりたいことがあるから大学に来る、あるいは百歩譲ったとしてもやりたいことを見つけるために来る。そうした意欲がなかったら大学に来る必要はないですね。

佐藤 カルチャースクールなら土日がダメです。お達者クラブになっている。逆に平日の夜7時からだと、社会の第一線で仕事をしている人が学びにきていて、そこに来る年配の方はそれなりにやる気があります。

出口 僕はいつも4Pと言っているのですが、学びにはPurpose(目的)、Passion(情熱)、Peer(仲間)、Play(遊び)が大事です。

佐藤 4P、いいですね。その通りだと思います。

出口 それから僕はもう一つ、新しいことを始める人を大学が作っていかなければならないと思っています。

佐藤 社会を変える原動力ですね。

出口 だから学長に就任して半年後の2018年7月に「APU起業部」という課外プログラムを作りました。これは単位にならないし、大学からの予算もつかない。でも70組の応募があって、その中から32組46名を選んでスタートしました。

佐藤 資金はどうしたのですか。

出口 クラウドファンディングで集めました。1口3千円から20万円まで段階的に支援を求め、すぐに第1目標の200万円を突破しました。さらに2019年夏以降の活動を見越して設定した第2目標350万円も達成、最終的には208人から374万4千円をいただきました。

佐藤 どのように学生の起業を手助けしているのですか。

出口 さまざまな業種や業態の先輩の起業家たちを招いて講演を聞いたり、投資家とのマッチングイベントを行ったりしています。

佐藤 それは刺激になりますね。実際に起業した学生もいますか。

出口 1年で4人が起業しました。バングラデシュからの留学生が2名とスリランカからが1名、そして日本人1名です。

佐藤 どんな事業ですか。

出口 一つはバングラデシュで大量に廃棄され環境汚染の原因になっている牛皮を使った革製品の製造です。これは女性の社会進出と環境問題の解決を同時に図るものです。もう一つはスマートフォンを通じたデリバリーサービス。そしてスリランカ料理のレストラン。ただ一人の日本人の事業は、尾道のアーモンドのブランド化を目指した栽培と商品開発です。

佐藤 実際に形になると、感慨も一入(ひとしお)ですね。

出口 はい。いまの大学のキャリアオフィスはひたすら就職活動の指導をやっています。それはいまある大企業や役所に勤める人になるトレーニングです。でもそうしたところに就職しても世の中は変わりません。大学が新しいことを始める人を作っていかないと、同じ社会を再生産するだけに終わってしまう。

佐藤 それも時代にマッチしないと、縮小再生産することになります。

出口 起業部を立ち上げてわかったことは「社会をよくする」という視点で事業を考える学生が非常に多いことです。「全世界で、自分の持ち場を見つけて頑張って世界を変えてほしい」というのはAPU2030ビジョンで掲げた理念でもあります。それに正面から立ち向かう学生たちをできるだけ応援していきたいと思っています。

出口治明(でぐちはるあき) 立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年三重県生まれ。京都大学法学部卒。72年日本生命入社。企画部や財務企画部を経てロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任。2006年に退職し、ライフネット生命の前身を創業し社長に就任。開業4年の12年に上場。17年に会長を退任後、国際公募で立命館アジア太平洋大学(APU)学長に推挙され、18年に就任。

週刊新潮 2020年11月5日号掲載

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