「日本に学んだ」李健煕サムスン会長が語った「韓国の政治は4流、官僚と行政組織は3流、企業は2流」

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日本人顧問に教えを請い、道を拓く

 実はこの会議の3日前の6月4日、当時サムスン電子デザイン顧問を務めていた福田民郎氏(現在・京都工芸繊維大学名誉教授)らを呼び出して対策を議論していた。

 福田氏は李健熙会長にサムスン電子社製品の問題点を網羅した「福田リポート」を提示する。

 福田氏はサムスンが追求すべきロールモデルを提案。電化製品はソニーと松下、重工業は三菱、繊維は東レなど、主に日本の会社を「ベンチマーク」し、いつかはこれらの会社を凌駕すると李健熙会長は心に誓う。

 サムスンの「品質優先」政策はこの時から本格化する。

 1995年3月にはサムスンの携帯電話ブランド「Anycall」へのクレームが相次ぐと、「報酬をもらって不良品を作るなんて、顧客が怖くないのか」と激怒。

 携帯電話工場のグラウンドに約2000人の社員を集め、「品質は自分の人格でありプライド」と書かれたプラカードを設置したまま、15万台の携帯電話を積み上げて燃やした。

 そして社員に「500億ウォンの売上を灰にする結果となった」と檄を飛ばしている。今となってはパワハラ、モラハラを問われかねない行為ではあるのだが……。

 もっとも、その強力なカンフル剤が奏功してか、Anycallは同年8月、携帯電話業界販売量1位のモトローラを抜き、51.5%のシェアで韓国国内トップとなっている。

 2002年には4500万台の携帯電話端末を販売して3兆ウォンの収益を上げ、2004年にはサムスン電子はソニーと合弁でLCDパネル生産会社の「S-LCD」を設立。

 2006年にはLCDテレビブランドの「ボルドー(Bordeaux)」を発足させ、グローバルテレビ市場でソニーを抑えて世界1位となった。

「真の克日」で一流企業経営者となった李健熙

 サムスンの主力子会社で、蓄電池の製造を専門とするサムスンSDIは、1970年にNECと合弁で設立された会社だ。

 他にも三洋と提携したサムスン三洋をはじめ、自動車事業で日産と、カメラ事業でペンタックスと合弁会社を設立しており、サムスンは日本企業と切っても切り離せない関係を結ぶ。

 2010年4月、経団連会長に内定した米倉弘昌住友化学会長ら経済界トップとの会合で李健煕会長は「サムスンはここ数年、良くなってはいるが、まだ日本企業からもっと学ばなければならないことがある。 韓国と日本企業は互いに協力する分野が多い」と語っている。

 彼の態度と経営能力は日本人の心を動かした。

 2010年9月、早稲田大学は学校に輝きを与えた人物として李会長に名誉博士号を授与している。

 2015年1月、日本経済新聞による日中韓100社の経営者を対象にしたアンケートで、李健煕会長は「日本の企業経営者が最も尊敬する経営者」に選ばれた。

 日本への感謝の気持ち、日本に学ぼうという精神。それらは真の克日とは何かを問わず語りに語っていた。

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