「韓国」最大の繁華街は、誕生・再開発・発展・衰退も「日本」に依存する

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日本式でスタートして成功した韓国百貨店

 当時、韓国で最高級といわれた新世界百貨店でさえ、店員は挨拶をせず、売場で食事をし、値札もまともに付けていないなど、商習慣の立ち遅れに驚いたという。

 秋山氏が持ち込んだ日本式の接客スタイルや販売手法は、他社も追随し、韓国の百貨店のスタンダードとなった。

 秋山氏はまた商品開発にも取り組んだ。他の役員が売れないと反対した味付け海苔やパック入りキムチは、韓国全土に普及し、定番の韓国土産にもなっている。

 ロッテショッピングセンターは、1986年のソウル・アジア競技大会と88年のソウルオリンピックで韓国を訪問する外国人向け公式百貨店の指定を受け、店名をロッテ百貨店に変更した。

 ロッテホテルは、2014年、自衛隊創設60周年の記念行事の開催を一方的にキャンセルするまで、事実上、在韓日本大使館や日系企業、日本人観光客の定宿の役割を果たした。

 在韓日本大使館も明洞からはじまった。

 1965年、日本と韓国の国交が再開すると、日本大使館は半島ホテルに入居した。

 日本政府は、統治時代に朝鮮神宮が建てられた南山麓に建設することを予定したが、韓国メディアが日本統治を想起させるといって反発し、紆余曲折を経て、朴正煕政権が現在空き地となっている鐘路を斡旋した。

 88年のソウル五輪と2002年のワールドカップ日韓共催を機に、韓国を訪問する日本人が急増、明洞はおよそ45年ぶりに日本人で溢れる商店街となった。

 日本留学の経験を持つ人たちが明洞で商売をはじめ、また、土産物店や飲食店は日本語学習者を採用して、日本語の看板を設置した。

明洞にとって日本人は欠かすことができない存在なのである

 2013年頃になると、日本人に代わって中国人が明洞を占領した。

 東日本大震災後の復旧が進んで東北・北海道への旅行が再開、またウォン高で韓国旅行費が割高になるなどの理由で、訪韓日本人が激減した。

 良いことも悪いことも政府に転嫁する国民は、2012年、李明博元大統領が竹島に上陸し、続く13年に発足した朴槿恵前大統領が告げ口外交を展開したのが原因だとしてデモを行い、政府に詰め寄った。

 一方、爆買い中国人が大挙して押しかけると、明洞に店を構える企業や店は、中国語話者を採用して、日本語看板に中国語を書き足した。日本語話者を解雇にした店もある。

 ロッテなど資金力がある企業は、中国語話者を雇用したが、店主自身の日本語力を武器に商売を営んでいる小規模事業者は、簡単にはシフトできない。

 中国語話者を採用する資金力がある店と日本語しか出来ない店の格差が広がったのだが、17年3月、中国政府が在韓米軍のTHAAD配備への対抗措置で、中国人の訪韓旅行を制限すると中国人旅行者が激減した。

 明洞は閑古鳥が鳴くかと思われたが、日本の好景気と文在寅政権の失策による韓国の景気後退で円高ウォン安が進行し、ふたたび増加した日本人旅行者で息を吹き返した。

 昨年8月、ソウル中区庁は、英語で「No Japan」と書いた旗1100枚を区内に設置する計画を立てたが、明洞の商店主などの反発で中止した。

 明洞にとって日本人は欠かすことができない存在なのである。

 新型コロナの影響で日韓往来が実質的に不可能となったいま、明洞を訪問する日本人旅行者がゼロとなり、閑古鳥が鳴いている。

 韓国最大の繁華街は誕生から再開発と発展、さらには衰退も日本と日本人に依存しているのだ。

佐々木和義
広告プランナー兼ライター。商業写真・映像制作会社を経て広告会社に転職し、プランナー兼コピーライターとなる。韓国に進出する食品会社の立上げを請け負い、2009年に渡韓。日本企業のアイデンティティや日本文化を正しく伝える必要性を感じ、2012年、日系専門広告制作会社を設立し、現在に至る。日系企業の韓国ビジネスをサポートする傍ら日本人の視点でソウル市に改善提案を行っている。韓国ソウル市在住。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年10月11日掲載

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