「周防正行」監督が明かす創作論 「いい監督ほど妥協する」

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初任給は1万5千円

二宮 もうひとつ、どうしても伺いたいことがあるんです。監督は、取材に時間をかけて調べてもこの程度かと思ったら捨てちゃうとか、生活のために作品は作らないとおっしゃっていますが、生活が怖くなることはありませんか。妥協してでも作っていかないと、食べていけなくなる怖さというか。

周防 世代なのかもしれないですけど、もともと失うことが怖くなるような生活はしていないんですよ。逆に言えば、そうだったらこの世界に入ってないだろうな。4年制の大学を出て、初任給だって、いくら大昔とはいえ、40日働いて1万5千円スタートですからね。でも、お金持ちになって何がしたいというのもないし、お金がなけりゃないでそれなりに生きていけるさ、と思ってました。

 まともにお金を稼げるようになったのって、「マルサの女をマルサする」っていう、伊丹十三さんの映画のメイキングビデオを作ったときだから、30歳ぐらいですよ。初めて人に言えるお金をもらいました。同世代のサラリーマンの給料とそう変わらない額。その前までは大学時代のアルバイト生活のほうがお金稼げてたくらいひどかった。結婚するまで実家にいましたから、寝るところと食べるものは保証されていたというのもある。

二宮 へえー!

周防 だから、あまり生活のためにという発想はないというか、そもそも自分が撮りたいと思ってもないものをどう撮っていいのかわからないです。シナリオでも、撮影現場でも、なぜそうしなければいけないのかっていう判断や指示は自分に撮りたいものがあって初めてできることであって、撮りたくもないものを撮れと言われても無理だと思うんです。

二宮 いやー、勉強になります。今日、お会いできてよかったです。

周防 いや、そんな。

映画監督は誰にでもできる?

周防 映画監督ってイエス・ノーを言うだけでできるんですよ。たとえば小道具だって、人と人が話しているシーンで「監督、何か飲み物用意しますか」って聞かれたとき、「何か考えて」って言う。で、スタッフに「湯飲みとペットボトルどっち使いますか」って聞かれたら「こっち」って選べばいいんですよ。だけど、なぜ「こっち」なのかの基準を自分の中に持てないと苦しい。

二宮 監督のお仕事をそういうふうに想像したことはありませんでした。

周防 全部スタッフが用意してくれるんです。ライティングだって何だって「ここをもうちょっとこうして欲しい」と言うのではなく、「ちょっと違うんだけど」と言う。映画監督は具体的な直しをやらなくていいんです。でも、作家はそうはいかないでしょう。

二宮 作家は案を出すところと迷うところも仕事に入ってる気がしますね。

周防 監督は衣装だって何だって、スタッフが具体的に用意してくれるから。これとこれだったらどっちがいいかって話になっていくわけですよね。本当に選択するだけなんです。役者さんの芝居だって、わかんなかったらちょっと自由に動いてみてくださいって言って、こっちのほうがいい感じですねって言えばいいだけだから誰でもできるんです。

二宮 さすがにそれは言い過ぎでは(笑)

周防 人にゆだねて、それを判断し続ける仕事。良いか良くないか、どちらがより良いかを答えるだけだから、その基準がどこかでぶれたりすると、作品としておかしなことになっちゃうわけです。この作品はこういう世界なんだなと思っていたところへ「えっ、そんなことしないでしょ」というものが出てきたら、そこで醒めて離れてしまうわけじゃないですか。

二宮 よくわかります。まったくその通りです。

周防 だから映画監督の基準はぶれちゃいけないし、スタッフにも監督の基準がしっかり見えていないといけない。

二宮 はい。

周防 同じスタッフとキャストが組んでも、監督によって全然違う作品になる。それは監督によるイエス・ノーの基準の違いが作品に表れているからなんですよね、きっと。その作品の世界観みたいなものが。

二宮 なるほど。

周防 自分でライティングしたり、カメラを回したり、ましてや演技してるわけでもないのに、監督が違うとこんなにって思うくらい映画が違ってくる。不思議ですよね。

二宮 選択こそがすべてというか、その選択が積み重なれば出口が違ってくるということですね。

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