「自民党の悪いところは全て見た」政治家・菅義偉 異例のロングインタビュー【緊急公開】

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 安倍総理の突然の辞任を受けて、「次の総理」の最有力候補に急浮上した菅義偉官房長官についての評価はさまざまであるが、「官僚を掌握する力、実務に長けている」といったところが概ねよく伝えられるところである。

 しかし、言うまでもなく、こうした評価が広く知られるようになったのは第2次安倍政権で官房長官に就いてから。

 官房長官ではなく「政治家・菅義偉」あるいは「人間・菅義偉」とはいかなる人物なのか。

 ここで掲載するのは、それを知るうえで格好のノンフィクションである。取材が行われたのは麻生政権末期。政権支持率は低迷し、民主党への政権交代が現実味を帯びていた時期で、菅氏の肩書は自民党選挙対策副委員長だった。

 この時期、菅氏にロングインタビューを行ったのがノンフィクション作家の豊田正義氏。

 政府の要職にいなかったこともあってか、菅氏としてはかなり珍しく生い立ちや自身の考えについて率直に語っている。青春時代については、工場での仕事に明るい展望を抱くことはできず、「ここで一生を終わるのかと暗澹とした気持ちになった」「あまり思い出したくない」と振り返る。

 番記者にすらプライベートについてあまり語らないという菅氏の人物像を知るうえで必読のテキストと言えるだろう。

(以下、豊田正義「根性を忘れた日本人へ 世襲禁止を目指す“反骨漢”衆議院議員・菅義偉」〈『新潮45』2009年5月号収録〉より)

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“家出”同然で東京へ

 桜のつぼみがふくらみ始めた、3月下旬の早朝、菅義偉は黄色いブルゾンに身を包み、相鉄線西横浜駅前にいた。

 事務所スタッフとボランティアの10人ほどが、通勤途中の市民に菅の活動を知らせるパンフレットを配る。菅は、マイクを握り朝の挨拶と政策を短いフレーズで訴え続けていた。

 現在自民党選挙対策副委員長を務める菅義偉、60歳。世襲でも、官僚出身でもない「たたきあげ」の代議士である菅の、国会議員に初当選した13年前からの毎朝の日課が街頭演説である。

 麻生内閣誕生直後から、常に解散総選挙の時期が注目されてきた。菅は選対副委員長として現在最もその動向が注目されている政治家のひとりだ。そのため、朝の街頭演説には多いときで20人近くの記者が集まる。

 今年3月22日、菅は秋田県湯沢市に講演に訪れていた。神奈川2区を地盤にする菅だが、故郷はここ、秋田県湯沢市秋ノ宮だ。秋田藩の時代からの財政をささえた院内銀山のお膝元で1948年の冬に生まれた。父は米を作る農家、姉2人、弟1人の4人姉弟だ。

 菅は読書が好きな少年で、歴史小説を夢中になって読んだ。特に好きな人物は織田信長。天下取りのドラマに胸を躍らせた。

 成績は優秀で、小学校3年から中学卒業まで級長を務めた。

「秋ノ宮は貧しい農村でした。中学の同級生は120人いて、約半数が中卒後に集団就職で上京しました。残り60人のうち30人が家業の農家を継ぐ。高校へ行くのは30人程度でしたね」

 湯沢高校に入学してからは、バスで通学していたが、毎年11月にもなると深い雪に閉ざされ、交通が寸断される。菅は、冬になると実家をでて高校のそばに下宿を借り、そこから通学した。村は、男たちが出稼ぎのため東京に出て行き閑散としていた。冬は家族がばらばらになる季節だった。

 高校までは何とか出させてもらったが、かといって家業の農家を継ぐのは気がすすまなかった。

「どうせいつかは死ぬわけですから、一度の人生思いっきり生きてみたいと。学校で就職を世話してもらって家出同然に東京へ出てきたんです」

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