60代家長が20代ベトナム妻と再婚で… 群馬「和牛農家」の大混乱

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叔父の破天荒な振る舞い

 やはりお金は人間を変えてしまうのか、それからというものの叔父はだんだんと“暴君化”していった、とAさんはいう。食卓を囲む際は、自らを権威付けるかのように、生前祖父が座っていた位置に座る。明治期の祖先の写真と昭和天皇の写真をどこからか引っ張り出し、自らの写真と同じ高さで3枚を並べ、床の間に飾る。唐突に家系図を作って張り出す……。

「今思えば、財産を相続してから叔父の破天荒は目につくようになったかもしれませんね」とAさんは遠い目でつぶやいた。

 金と権力をほしいままにし、順風満帆な生活を送っているように見える叔父だったが、保守的な群馬の空気の中で最も避けるべきタブーを冒す。離婚である。そのため、当時まだ4歳だった一人息子のX君に離婚の事実は知らされず、兄弟の中で唯一独身で、同じ敷地に暮らす3番目の叔母が母親代わりとしてX君を育てることになった。

 X君が10歳になった年、一族の重鎮たちが寄り集まり会議が行われた。議題は「X君に離婚の事実を打ち明けるべきか否か」。由緒正しい家系のたった一人の跡取り息子である。これは叔父と叔母だけではなく、一族全員の問題だった。

「当時中学生だった僕は、なぜかたまたまその一族会議に紛れ込んでしまって。大人たちが物々しく顔を突き合わせる様子は、まるでやくざの集会のようでした」(Aさん)

 X君を大切に育ててきた叔母にしてみれば、真実を打ち明けることは、自分が“母”でなくなることに等しい。「そちらの都合でXをよこしてきたくせに、今さら」「取り上げるときはすぐに取り上げるのか!」と泣きわめいた。ふだんは占いになど丸っきり興味を示さない彼女も、このときだけは亀卜(甲羅占い)の結果まで持ち出して大反対した。

 叔母の懇願もあってか、X君に離婚の事実が告げられることは取りやめになったという。とはいえ、中学生にもなると、X君は本当の母親が別に存在するということに薄々気づき始めた。父や“母”への不信感を募らせるようになったX君は、高校生になると家の戸棚にあった瓶ビールを盗んで飲み干すなど、荒れた青春を過ごした。東京の私立大学に進学し、犬猿の仲の叔父と距離を置くことができたかと思いきや、大学の寮でトラブルを起こし中退。再び群馬へと舞い戻った。

 もっとも、叔父に嫌悪感を抱くX君に和牛ビジネスを継ぐ意思など全くなかった。居心地の悪い田舎の実家で暮らす従弟を何とかしてあげたいと、Aさんは東京の自宅へ彼を呼び、一緒に暮らし始めた。それ以降、X君と叔父は全く連絡をとっていないという。

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