李登輝・台湾元総統、95歳「最後の来日」シーンを振り返る

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“沖縄なら行けるかな”とこぼした

 去る7月30日、台湾の李登輝・元総統が台北市内の病院で、多臓器不全などのため死去した。享年97。1996年、最高指導者を住民が直接選ぶ初の総統選挙で勝利し、初代の民選総統に就任した巨星は、2018年6月に沖縄を訪れていた。そのシーンを振り返っての追悼――。

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 6月22日、那覇空港に降り立った李登輝元総統。当時95歳の高齢を押しての来日は、糸満市における戦没者慰霊祭への出席が目的だった。

 当時、取材をした記者によると、

「23日は『沖縄慰霊の日』で、李登輝さんは24日、台湾出身日本兵の慰霊祭に参加。第2次世界大戦では台湾から出征した人も少なくない。そして戦死者は3万人にのぼるといわれています」

 元総統自身、京都帝国大学農学部在学中に学徒出陣し、日本陸軍の少尉として終戦を迎えている。

「当初は慰霊碑の揮毫(きごう)のみで、日本へやってくる予定はなかったんです。しかし本人が、“沖縄なら行けるかな”とこぼした。直前まで入院していたものの、病室で“台湾人の慰霊は大事だ”と語る表情には鬼気迫るものがあり、誰も“総統、やめましょう”などと言えなかったのです」

 と、元総統の側近。高血圧で心臓病や糖尿病も患っていた中での空の旅はむろん危険だ。それでも来日したのは、中国とは異なる民主社会を築き「台湾民主化の父」と呼ばれた彼のプライドだったのだろう。

 眼光鋭く屈強なSPに車椅子を押される姿は、往時に比べれば勢いはないように映る。しかし、晩さん会では乾杯のワインにも口をつけ、マイクを握ると天敵たる中国の覇権主義を激しく非難。台湾を『アジア四小竜』の一角に押し上げた老政治家の、衰えぬ気迫を見せつけた。

 そんな元総統も、スピーチ中に数分ほど涙声になったという。後援者のひとりが明かす。

「感極まったのでしょう。李登輝さんの実兄も、終戦の半年前にフィリピンで戦死しています。感傷的になるのは決まって、日本の話をする時です。“22歳まで私は日本人だった”と公言するほど、日本への思い入れは強いんです」

「中華民国」の元総統はしっかりと日本に足跡を残し、そして逝った。

週刊新潮WEB取材班

2020年7月31日掲載

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