「昭和の呪い」をぶっ飛ばす「松嶋菜々子」の神々しさ 再放送「やまとなでしこ」の魅力

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 ドラマの再放送真っ盛り。つい観ちゃうのは画質が粗くて画面の両端が黒い、十数年以上前の作品だ。仲間由紀恵は若い頃のほうが表情豊かだったなとか、白シャツにビーサンでもエロスダダ漏れのトヨエツは無二だなとか。懐かしさだけで終わるものがほとんどだが、「やまとなでしこ」は違った。松嶋菜々子の神々しさったら。20年前も礼賛されたが、令和の今も女たちが快哉を叫ぶ理由がよくわかった。

 松嶋演じる桜子はスチュワーデス(当時は女の花形職業の代表格)。ドのつく貧乏な家庭に育ち、この世で一番嫌いなものが貧乏と公言。男の条件はただひとつ、金だ。顔なんかついてりゃいい。肩書だけでなく、腕時計や車のキーで男の資産状況を目利きできる、たいしたタマだ。合コンに来たのは、魚屋の欧介こと堤真一。数合わせで乗り気ではなかった欧介だが、昔の恋人に瓜二つの桜子と出会い、恋に落ちる。しかも医師と偽る。偶然、得意先から預かっていた馬主のピンをつけていたため、桜子からも熱烈にアプローチされる。

 恋路を邪魔するさまざまな障壁に愛と絆で立ち向か……わない。そんな単純なメロドラマではない。桜子は打算で迅速に動く。「さっきまで会っていたのにもう会いたい、明日も会いたい」と甘い声を出した直後、欧介が魚屋とわかった瞬間に「嫌いになりました、さようなら」と吐き捨てる。わかりやすい。気を持たせようとか、いい人と思われようとか1ミリも考えていない。裏がないから心地よい。だから後輩や同僚からも嫌われない。別の意味で、竹を割ったような性格だ。

「女性は優しくて気立てが良くて楚々として、料理も家事もできて、男を支えろ」という昭和の呪いをまったく受けていない。そこが最大のポイントだと思うのだ。

 洋服は最大にして最良の武器と考え、家の中は高級なブランド服だらけ。一方、切れかかった蛍光灯や穴の開いた床、カビの生えた壁を一切気にしない。衣食住のバランス感覚の悪さと潔さ、豪胆さは、昭和の人間が連綿と娘や嫁にかけてきた呪縛をぶっちぎっている。

 桜子のボロアパートから出火したとき、欧介は決死の覚悟で飛び込む。やむをえず1着だけ持ち出せたのは、二人が出会ったときの服で桜子にとってはどうでもいい服だ。煤だらけで咳き込む欧介を「これだけしか持ってこなかったの?」となじる桜子。え、今それ言う? 正直、胸がすいた。

 男の優しさ・善意・勇気ある行動に対して、容赦なく我をぶつける桜子に改めて感心した。優しく正しくあらねばならないと刷り込まれてきた女たちは、自我を殺して善人面することに辟易しているし、「女は共感の生き物」と強いられてうんざりもしている。昨今は破天荒だが人として正しいヒロインばかりが描かれるが、桜子は優しくも正しくもない。そのバランスの悪さと潔さこそが心を掴む。性善説でもなく悪びれもせず、自分の手でがっちり幸せを掴むヒロイン。絶滅危惧種「滅私の男」欧介のお陰で、純愛モノとして成立しているんだけどね。

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビ番組はほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2020年7月30日号掲載

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