「麻薬と北朝鮮」レポート…それは政権維持の生命線だった

国際 韓国・北朝鮮

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「白桔梗」生産と課題

 私が中国の延辺に勤務していた頃、麻薬販売問題で党中央本部から派遣されてきた金某課長から聞いた話である。1987年3月初旬、金正日は自身の執務室で外貨獲得関連中央機関関係者らを緊急招集して会議を行った。

 金正日は軍事物資生産工場がある立ち入り制限区域と政治犯収容所、刑務所の作業用農場でケシを栽培するように指示した。党中央外貨獲得5号管理部がこれを管轄し、生産成果など具体的な内容は党中央(金正日)に報告するように……という内容であった。

 ケシから採れるアヘン成分から羅南(ラナム)にある製薬工場でヘロインを生産する問題……生産されたヘロインは、党中央39号室にて海外販売を担当する部署が別途に新設され、ケシ栽培を「白桔梗栽培」と命名した。

 金正日は対外貿易機関に指示し、前年の1986年秋、海外からアヘンの種子数百キログラムを取り寄せ、ケシ栽培農場に供給。また、全国各地に点在するケシ栽培農場に供給する肥料生産も開始した。

 こうして、金正日の特別な関心と指示により、北朝鮮のケシ栽培は1987年から、北朝鮮全域の立ち入り制限区域内にて極秘裏に進められた。全国で生産されたアヘンエキスは、咸鏡(ハムギョン)北道清津(チョンジン)の羅南製薬工場に入庫し、ヘロインに生成される。

得た収益は、天文学的な額に達した

 金正日は、市郡ごとに点在する外貨獲得機関である5号管理所がケシ栽培を責任をもって行うこととし、各協同農場の作業班辺り100キログラムの生産ノルマを課した。しかしながら、地域と気候、土壌の質により生産量は千差万別。すると生産量の少ない農場では、ケシ栽培の面積を拡大し、とにかく生産ノルマを達成するようにした。

 北朝鮮各地の協同農場には作業班が1万5千班存在し、各班ごとに100キログラムのアヘンエキスを生産していたとすれば、自ずと全体生産量がわかる。なお、この数字には立ち入り制限区域や刑務所、収容所のような場所で生産されたアヘンエキスは含まれていない。

 北朝鮮全域にアヘンを植えて栽培し、ヘロインに生成して韓国、日本をはじめとした国に裏ルートで流通させて得た収益は、天文学的な額に達した。経済にとらわれずとも、麻薬さえあれば政権維持、強化に必要な統治資金は心配なかった。

 約5年間、ケシ栽培による外貨稼ぎで甘い汁を吸ってきた政権関係者が脱北し、くだんの脱北者の口から北朝鮮がヘロインを大量生成していることが国際社会に知られることとなった。脱北者は政権中枢の幹部から末端の従事者までおり、情報の信憑性は高く、アメリカなど国際社会は人工衛星から写真や動画などを撮影して証拠を押さえた。

金の卵を産むガチョウを手放すことに

 北朝鮮でのアヘン栽培に関する情報が全て明らかになり、国際的非難と反発が高まりを見せるようになると、金の卵を産むガチョウを手放さざるを得なくなる。だが、麻薬生産は北朝鮮の政権維持の生命線であり、簡単に手放すことはできない。北朝鮮政権は絶対に秘密が漏れない場所で巧妙に麻薬を生産する計画を立てた。

 金正日は関連部署の幹部に新たな麻薬について調査するように指示し、その中でも金正日の関心を引いたのがヒロポンだった。ヒロポンはピンドゥという名で人民にも知られており、材料さえあれば小さな建物の中でも大量生産が可能な夢の麻薬だった。

 金正日は麻薬生産問題と関連して当該部署の担当者を呼び出し、一般農場で行っていたアヘン栽培を立ち入り制限区域でのみで行うように指示した。そして、アヘンに変わる麻薬としてヒロポンの生産に切り替えるよう指示を出したのだった。

イ・ジュソン
小説家、詩人。1965年、平壌市万景台区域生まれ。1968年、咸鏡北道会寧市ユソン炭鉱に強制移住。2006年1月、脱北。現在、NKデザイン協会(北朝鮮人権団体)、パンヌ文化企画会社代表。韓国小説協会会員。脱北者の女性が中国に売られ性奴隷にされてしまう実話をもとにした小説『ソンヒ』(現在のタイトルは『哀しい月』)がデビュー作にして、韓国芸術文化団体総連合会の文学大賞を受賞。2作目の韓国民主化の原点ともいえる光州事件を題材とした作品『紫色の湖』が異例のヒットとなったが、刑事告訴をされるなど激しいバッシングを受けることになる。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月22日掲載

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