「国際カルテル」摘発の脅威(上)「巨額罰金」「刑務所送り」の日本企業と日本人

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「自動車部品カルテル事件」をご存じだろうか。知る人ぞ知る、数十社もの日本企業が関与した国際的なカルテル事件だ。

 事件の端緒となったのは、2010年2月の日米欧などの競争当局による一斉立ち入り検査だった。筆者はそれ以来、事件をフォローし、このほどその成果をまとめ、『国際カルテル 狙われる日本企業』(同時代社)を上梓した。

 自動車部品カルテル事件では、世界各国・地域で企業に対して総額約6000億円もの金銭的ペナルティーが科された。

 特に厳罰姿勢が目立ったのが、米司法省だった。日本の独占禁止法に相当する反トラスト法に違反したとして、企業46社に対して計約3000億円の罰金を科した。摘発された企業の大半は日本企業だ。

 ワイヤーハーネス製造大手の「矢崎総業」には4億7000万ドル(当時のレート換算で約360億円)と、1企業として最大の罰金が科された。

 ほとんどの企業は米司法省と司法取引を結び、処分を軽くしてもらう見返りに捜査に協力した。それでも数十億円、数百億円という巨額の罰金を免れることはできなかった。

 企業だけではない。米国では事件に関与した個人にも苛烈な刑事罰が科された。その最たるものは禁錮刑だ。

 米司法省が摘発した個人は計66人。そのうち日本人が64人。残りはエアバッグ・シートベルトなど自動車用安全部品メーカー大手「タカタ」(2017年に経営破綻後、再建中)に勤めていた米国人と、ドイツ企業の韓国子会社の韓国人幹部社員だ。

 摘発された66人のうち32人までが、企業と同じように米司法省と司法取引を結んだ。企業の場合、司法取引の結果、多額の罰金を支払った。個人も多くの場合、200万円前後の罰金を支払った。

1~2年の禁錮刑

 そこからが違った。

 司法取引に応じた個人に対しては、1~2年の禁錮刑も併科されたのである。自明のことだが、企業を刑務所に入れるわけにはいかない。いわば、個人は企業の身代わりになって刑に服したのである。

 米司法省は、

「カルテル行為の抑止、処罰に向けては個人の責任を問うのが最も効果的なやり方である」

 と明言している。カルテルがホワイトカラー犯罪と呼ばれるゆえんでもある。

 もちろん、企業も巨額の罰金を科されれば、汗水たらして稼いだ利益が一瞬にして吹き飛ぶ。レピュテーションリスク(名声が毀損されるリスク)にさらされ、株主代表訴訟に問われる恐れもある。

 しかし、「法人」と呼ばれながら「自然人」ではない企業は、刑務所に収監されることはない。

 ホワイトカラー犯罪の場合、違法行為を犯した個人にとって、最も過酷な処罰は実刑だ。そこのところを、米当局も心得ている。

「企業のカルテル行為は個々の従業員を通じてしか行われず、禁錮刑は、経営陣が補償することのできない処罰である。ある企業幹部がかつて元(米司法省)反トラスト局長に語ったように、『金銭面だけなら会社は最終的に償ってくれるが、自由の剥奪という段になると、会社にしてもらえることはない』のである。企業幹部が、罰金が増えてもいいから刑期を短くしてほしいと持ち掛けてくることはよくあるが、刑期が長くなってもいいから罰金を減らしてほしいと頼んでくることはまずない」

 これはある米司法省当局者のコメントだ。

 自動車部品カルテル事件の場合、司法取引に応じれば、自動的に米国の刑務所に収監されることを意味した。日本の刑務所に収監されるなら、まだ家族との面会も比較的容易だ。何よりも日本語が通じ、まずくても日本食が食べられる。

 米国の刑務所送りになれば、家族との面会もままならない。日本語は通じない。刑務所の食事は、当然期待できない。

 1~2年の刑期を終え、日本に戻ってきても、元の職には復帰できない。会社もさすがに、どんなに優秀でも実刑を受けた社員を厚遇することははばかられる。ばりばりの元営業マンも、刑期を終えれば降格され、地方や子会社に飛ばされる恐れがあるのだ。

 米刑務所に収監された多くの日本人ビジネスマンが、トラウマを負っている。できれば秘密にしておきたい。家族にさえ、米国で収監されることを内緒にし、短期駐在と称して単身、米国に旅立った日本人ビジネスマンもいるくらいだ。

ゴーンと同じ逃亡者に

 前述のように、自動車部品カルテル事件で摘発された66人の個人のうち、32人までが米刑務所に収監されたが、残りはどうなったのか。

 実は残り34人のうち、33人までが日本人(1人は韓国人で、2020年2月、ドイツから米国に引き渡され実刑を受けた)で、その全員が日本国内にとどまっているとみられるのである。

 米国で起訴されながら米国の裁判所に出頭せず、日本に“立てこもっている”ということは、「逃亡者」としての道を選んだことを意味する。

 逃亡者と言えば、2019年暮れに保釈中の身で日本からレバノンに逃亡した「日産自動車」のカルロス・ゴーン前会長が有名だが、身分としては同じだ。

 ゴーンの逃亡劇は、最近になってその詳細が明らかになりつつあるが、日本から物理的にレバノンに脱出したのだから、逃亡者という呼び名はぴったりだ。

 しかし、自動車部品カルテル事件で摘発されながら日本国内にとどまっている日本人ビジネスマンの場合、米国から“逃げ帰った”わけではない。

 そのほとんどが日本国内での勤務時に、カルテルに関与したのである。ある者はカルテル情報を競合社とメールなどを通じてやり取りし、ある者はそうした行為を監督する立場にあった。そしてある者は、当局の調査が入ったことを知ると、部下に証拠隠滅を指示したり、実際に捜査妨害に関与したりした。

 そうした違法行為は、当局の立ち入り検査やタレ込みで米司法省の知るところとなった。

 米国では、カルテル行為は反トラスト法に基づいて厳罰に処される。米国の経済や消費者に損害をもたらしたと認定されれば、たとえ外国企業、外国人であっても、厳しい摘発の対象となる。

 そうして芋づる式に摘発された日本企業の社員が、半数は司法取引に応じて米刑務所につながれ、半数は逃亡者となっているのである。

直接取材は難航

 筆者はぜひ、米刑務所での収監を体験した人や、逃亡者扱いになっている人に直接、話を聞きたいと考えた。そうした人たちが米当局から摘発されて何を思ったか、なぜそのような事態に直面することになったのか、そしてどのような行動を取ったかを聞くことで、自動車部品カルテル事件を埋没させることなく、日本企業とその社員にとっての教訓として生かせると考えたからだ。

 ジャーナリストとして、やがて忘れ去られてしまうかもしれない事件について、記録に残しておきたいとの思いもあった。

 結果は、ゼロ回答だった。だれ1人として、連絡すら取ることができなかった。

 通常、社員にコンタクトを取ろうとする場合、まず企業の広報に取材を依頼する。しかし、広報の反応は、

「当該社員は既に退社している」

「過去のことなので話したくないと言っている」

「会社としてもまだ関連訴訟が続いているので取材には応じられない」

 といったものだった。

 ゴーンのような富豪なら、大金を使って日本から大脱走を試みることもできるだろう(映画化が取りざたされるほど異例中の異例なケースだが)。しかもゴーンは悪びれもせず、堂々と記者会見まで開いている。

 会社を愛し、家族のためと日夜仕事に励んできた日本人ビジネスマンの場合は、事情は天と地ほども異なる。

 製品価格について他社の担当者とやり取りしたのは事実だ。会社の利益になるとの思いから、前任者から引き継いだ業務をこなしただけだ。別に私利私欲のためにやったわけではない。それが米国で法律違反に問われるとは思ってもみなかった――。大方はこんなところだ。

 国際カルテル事件で起訴され、米司法省と司法取引を結んで収監されても、日本では犯罪履歴として残らない。日本の法律を犯したわけではないからだ。メディアが嗅ぎつけて報道したり、本人や関係者が口外したりしない限り、刑を終えて日本に戻れば犯罪者ではなく、普通の一市民として生活を送ることができる。

 そうであるなら、実名や米国での犯罪歴が公になるリスクを冒してまで、あえてメディアの取材に応じようとする者がいないのは当然だろう。取材が実現しなかった背景には、こうした特殊事情もある。

 拙著は、一般にはなじみの薄い国際カルテル事件を取り扱っている上、米司法省の取り締まり手法、反トラスト法などについての説明にある程度の字数を割かざるを得なかった。しかし、強調したかったのは、あくまで米司法省に摘発された個人が直面する過酷な現実だ。

 幸運なことに、ある関係者のつてで、自動車部品カルテル事件とは別の事件で米司法省に摘発された日本人ビジネスマンに直接話を聞くことができた。かろうじて、無味乾燥な内容に終始せずに済んだのである。

 次回は、そのビジネスマンが直面した過酷な状況について紹介したい。

有吉功一
ジャーナリスト。1960年埼玉県生まれ。大阪大卒。84年、東レ入社。88年に時事通信社に転職。94~98年ロンドン支局、2006~10年ブリュッセル支局勤務。主に国際経済ニュースをカバー。20年、時事通信社を定年退職。いちジャーナリストとして再出発。著書に『巨大通貨ユーロの野望』(時事通信社、共著)、『国際カルテル-狙われる日本企業』(同時代社)。

Foresight 2020年7月16日掲載

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