草創期の「ABEMA」はデタラメだった だから楽しかった

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

「沢口靖子最後のリッツパーティー」…

 そんなこんなで、ABEMAが始まった頃のバカな思い出は、書いても書いても書ききれません。沢口靖子さんにスタジオに来ていただいて、弦楽四重奏やらなんやらたくさんのゲストを呼んで、一般の人たちにも集まってもらってCMに出演してきたリッツを配って、「沢口靖子最後のリッツパーティー」を生中継したのも良い思い出です。オバマ前大統領が広島を訪問した時には、「今夜あの人がスタジオに!」と宣伝して、 SP風の外国人エキストラに囲まれたノッチさんに生出演してもらったこともありました。

 僕は、番組を大ヒットさせたことはありませんから、大ヒット番組を作る面白さはわかりません。ですが、誰にも期待されていない番組を作る面白さは、よく知っています。小宮悦子さんのMCで始まったばかりの「スーパーJチャンネル」も、視聴率が超絶低くてそんな感じでした。何をやっても自由! 何も背負うものがないからこその自由! はとても楽しいものです。

 ABEMAが始まった頃は、まさにそんな感じでした。きっとかつて、テレビ放送が始まったばかりの頃の昭和のテレビマンもこんな自由を謳歌していたんだろうなあ、と思うと本当に貴重な経験をさせてもらったと感謝しています。

 いまやABEMAは日本を代表するメディアのひとつに成長したと思います。バカみたいなニュース番組だった「AbemaPrime」(現・ ABEMA Prime)も、僕は自分が辞めてからほぼ見ていませんが、優秀な後輩たちがマトモな番組に成長させてくれたことでしょう。

 ぜひこれからも「自分たちが楽しむこと」を忘れずに番組作りを続けていって欲しいと思います。人間は背負うものが多くなると、楽しむことを忘れがちです。でも、ABEMAも、今のテレビも、制作しているスタッフたちが自分たちで思わず笑ってしまうような自由な番組作りだけは忘れないで欲しいのです。僕も今でも「Wの悲喜劇」というSHELLYさんがMCの番組の総合演出をABEMAでさせてもらっていますが、そこでは大いに自由にやらせてもらうつもりです。

 きっと今、テレビを作っている人は誰しも、いろいろ大変な困難に直面していて、苦しいことが多いと思います。でも、自由に、楽しんでいきましょう! 作っている人が楽しくないものを、見る人は決して楽しいとは思ってくれないはずですから。

鎮目博道(しずめ・ひろみち)
テレビ・プロデューサー・演出・ライター。92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなどを始め海外取材を多く手がける。また、ABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、放送番組のみならず、多メディアで活動。上智大学文学部新聞学科非常勤講師。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究、記事を執筆している。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月15日掲載

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。