草創期の「ABEMA」はデタラメだった だから楽しかった

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お天気担当「ほかのん」誕生秘話

 改装といっても、そんなに抜本的に改装する時間も費用もありませんから、床はイベントスペースだった頃のフローリングのまま。カメラをドリー(タイヤ付きの台車で水平移動)させると、普通のスタジオの数倍ガタガタして、映像がガクガクになってしまいます。なにより困ったのは、隣が六本木ヒルズのアリーナだったことです。

 なにせ元イベントスペースですから、アリーナに面して入り口があり、基本的にはそこを閉めて放送しているだけで、たいした防音対策がしてあるわけではありません。だからアリーナでイベントやライブをやっていて、結構爆音が鳴り響くと、バッチリ放送にノイズが乗りとんでもない事態になってしまうのです(笑)。土日の昼の番組なんかは、アリーナのイベントも多いので大変です。いま「(笑)」と書かせてもらいましたが、番組関係者としてはとても笑っていられる状況ではありませんでした。

 僕の担当していた「AbemaPrime」は当初、月曜から金曜の20:00~22:00の放送でした(現在は21:00~23:00)。六本木ヒルズのアリーナの規則で「夜20時以降は原則として音を出してはいけない」と決まっているのですが、たまにライブが盛り上がると20時ぴったりには終わらないことがあります。そうすると番組の頭の部分では変な爆音が鳴り響いているというファンキーなニュース番組になってしまうので、「今日はライブが予定通り終わりますように」とお祈りする不思議な毎日でした。

 ファンキーといえば、地上波放送とは違う制約がたくさんあって、それにもずいぶん困らされ、かなりファンキーな演出で無理やりそれを克服しました。

 まず、天気予報に困りました。テレビ朝日にはウェザーセンターがあって、そこが天気予報を担当しているのですが、平日は夕方の「スーパーJチャンネル」にお天気コーナーがあって、夜の「報道ステーション」にもお天気コーナーがあります。19時までJチャンネルのお天気コーナーにかかりきりになっていたウェザーセンターは、22時の報道ステーションに向けて準備をしなければならないので、その間に放送がある「AbemaPrime」向けに天気予報を出すことは「とてもじゃないが難しい」というわけです。

 さあ、困りました。いろいろ知恵を絞って考えた挙句、思いついたのは「気象予報士さんならなんとなく予報をしてくれるのではないか」ということでした。さあ、どこかで月~金で出演可能な気象予報士を見つけないと…というので、スタッフのひとりがたまたま知っていたのが穂川果音さんという、千葉のケーブルテレビで天気予報をしていた女性でした。

 さっそく呼んで、話をしてみました。彼女のウリは「Iカップのバスト」。元モデルで、話をしてみると面白い人でした。ウェザーセンターの協力を得るのも難しそうでしたし、穂川さんは夕方、千葉のケーブルテレビで出演が終わってからこちらに駆けつけるということでしたので、普通の番組のような、詳しい全国の天気予報をするのは早々に諦めることにしました。なんとなく、彼女の明るいパーソナリティを生かすことに決めて、天気予報は画用紙に自分で適当な日本列島をザックリ書いてもらって、大まかな傾向の話をしてもらうことにしました。代わりに、「明日はこんな服を着てください」と、オススメのコーディネートを毎日紹介することにしました。「お着替えボックス」みたいなものを発注して、毎日穂川さんが番組の途中で服を着替えて登場します。

 彼女の明るいキャラクターと、「Iカップのバスト」というセクシー要素もあって、彼女は「ほかのん」という愛称で呼ばれるようになり、一躍人気者になりました。でも始まりは、天気予報がフツーにできない、ということからの苦肉の策だったのです。

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