「オスプレイ」暫定配備なら「首都圏防災航空センター」設置せよ
いま世界は、米・中・露の軍事大国が軍備と示威行動を誇示し、多数の中小国家や非国家主体と呼ばれるテロ集団が武力を行使して国際秩序を混乱させている。この現実にあって、世界の国々が軍事力を保有し強化を図っているが、日本も例外ではなくなった。
「感謝」と「批判」のギャップ
日本は周知のとおり、第2次世界大戦後の70年間、「戦争と無縁」の専守防衛政策を貫いた「防衛力保有の例外国」であった。
しかし防衛政策は、2014年に集団的自衛権行使容認へと「転換」して以降、「憲法改正」を急ぎ、「攻撃的自衛」の議論を進めている。日本はいま、国民のコンセンサス抜きに「普通に戦争できる軍事力」を保有する国となりつつある。
他方で軍事力は、非軍事的役割において、現下の「新型コロナウイルス」感染対処をはじめ、疫病・地震・台風・豪雨・大火災などの救援、紛争・武力衝突収束後の復興支援や国連平和維持活動(PKO)と、多岐多様の求めに応えている。自衛隊の国内外における貢献は耳目に新しく、信頼と感謝の対象でもある。
「身に危険が迫る事態」が頻発して、国民は、自衛隊の救助・支援を受けて感謝することが多くなった。しかし本来、自衛隊が身近にいてありがたく思える事態が頻繁に起きては欲しくない。自衛隊が出動するのは、「国民が苦しみ、悲しみ、泣く」災難に遭っている時だからだ。
ところが、マヨネーズ状の地盤が工事の障害になっているにもかかわらず継続中の「辺野古埋め立て」、「イージス・アショアの配備計画」撤回、運用目的が曖昧で落ち着き先が決まらない「オスプレイ配備」、国産開発を押しのける「F35の爆買い」、専守防衛を断捨離することになる「空母保有」、「敵基地攻撃を可能にする防衛政策の検討」など、国民が納得できない防衛・安全保障政策には反対や批判も多く、「自衛隊への逆風」を生んでいる現実もある。
「護られる国民」が「護る自衛隊」について理解が及ばない状態に、「不可解な防衛政策」が拍車をかけると、「感謝」と「批判」のギャップが広がる。
そこで「国民」と「自衛隊」の間に価値観の共有が生じれば、「両者の距離」が縮まるのではないか。それは、諸外国には「自衛隊と国民とが国防に強い意志を共有している」という「意識の抑止力」と映るはずだ。
「自衛隊がいるから助かる」という価値
陸上自衛隊(以下「陸自・海自・空自」と言う)のオスプレイ「木更津暫定配備・部隊新編」を例に採ってみる。
オスプレイ配備に関する報道は、「佐賀空港に部隊を新編する計画」に対する佐賀県有明海漁協の強硬な反対を伝えている。政府は、米国から岩国に着いたオスプレイを留めておくわけにもいかず、取り敢えずの暫定配備として千葉県木更津氏の「陸自木更津駐屯地」に移送したが、無論、木更津市も歓迎はしていない。
東京湾アクアラインで首都圏と直結している木更津には飛行場があり、陸自・空自部隊が置かれている。羽田空港、海自館山ヘリ部隊(千葉県館山市)、空自峯岡山レーダーサイト(千葉県南房総市)はそれぞれ至近距離にあり、東京湾には港湾施設が多い。
この木更津に、在来機種に加えて、長距離高速輸送能力を備えた新しいタイプのヘリコプターであるオスプレイが展開すれば、多くの不測事態発生を伴う災害対処の幅を広げ、木更津を「首都圏防災航空センター」構築の適地とし得る。
「木更津首都圏防災航空センター」には、航空活動指揮統制中枢、防災物資集積輸送基地、多機種航空機整備補給機能、防災航空教育訓練センターを整備する。付帯施設として海上輸送港湾施設を隣接させ、さらに将来は、大規模地下退避シェルターを備えた耐震「羽田~木更津」海底高速道を整備し、海上・海中を走るアクアラインの脆弱性を補完する。
「羽田空港が目の前」というのは気がかりではある。しかし、現在の航空交通管制下では、羽田・成田・横田・入間・厚木・宇都宮・百里・下総・館山・木更津に離発着する航空機の交通管制が、整斉安全に行われている。
しかも、有事危機管理態勢下の航空活動は自ずから優先や制限が生ずるからこそ「防災航空センター」の存在が求められるわけであり、航空交通は、厳重な監視、統制下に置かれるから心配は無用だ。
このように、「反対・批判」に替えて「自衛隊がいるからできること」を考え、「周辺住民にとって歓迎される」事業が推進されれば、「自衛隊員の任務に対するモティベーション」をプラスに導き、国民にとっても「防衛・安全保障」を身近に理解できる転機になると考える。
「自衛隊と国民の一体感」は、防衛・安全保障に関わる意識において「守りの精強性」をもたらすに違いない。「首都直下地震・南海トラフ地震」を想定し、ポスト・コロナを視野に入れ、「新たな『知恵と価値観共有』の時代」を考える必要が謳われている。
いまこそ国民は、改めて「自衛隊がいるから国民が助かる」という自衛隊の価値を問い直すべきではないか。