中国人民解放軍がコロナ禍で苦しむインドに侵攻する日 グローバリズムの悲しい結末

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 白人警官による黒人殺害に端を発した「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」運動は、米国にとどまらず世界各地に広がっているが、「新型コロナウイルスのパンデミックが関係している」との考え方がある(7月1日付ニューズウィーク誌)。

 社会心理学の分野で唱えられている「恐怖管理理論」に基づく見立てである。

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)が続く中で、私たちは「感染」や「死」についての情報を延々と目にしており、知らず知らずのうちに未知のものに対する不安と恐怖心を掻き立てられている。しかし人間はこのような恐怖心に無防備ではいられず、何らかの防衛手段をとらざるを得なくなる。

 恐怖管理理論は、「自分の命を脅かす恐怖に直面すると、人々はイデオロギー(公正な世界やナショナリズム)や信仰などを用いて自らの恐怖心を緩和しようとする自衛メカニズムを作動させる」と主張する。

 人生に意味を与え、自己評価の基準を提供してくれる世界観と合致する行動を自分はとっているという自尊心によって、人々は死の恐怖から身を守っているとする考え方だが、いくつかの実証的研究において、死に対する認知が人々の行動に影響を及ぼすことが明らかになっている。

 これをパンデミック下の現在にあてはめてみると、人々は「社会にとって意義のある行動に参加している」と自らに言い聞かせることによって、新型コロナウイルスに対する恐怖心を最小化したいと考えているということになる。

 このような観点から見ると、長年の懸案だった人種問題の解決を訴えるBLMは、「意義のあることに身を捧げたい」と願っていた人々にとって非常に好都合だったことがわかる。デモ参加者は「BLM運動は感染リスクを冒すだけの価値があり、全身全霊を捧げるべきだ」と信じることによって、一時的にではあるが、パンデミックの恐怖から解放され、生きる意味を再発見できるからである。

 しかし死の恐怖から逃れるための衝動が根底にあるため、デモ参加者の多くは、自分とは異なる意見を激しく拒絶する一方、改革と正義を求める自らの思いを共有していると思われるリーダーを熱狂的に支持するという危うさをはらんでいる。

 20世紀末の冷戦終了により、イデオロギーの時代が終わり、世界はグローバリゼーションの時代になったと言われて久しい。グローバリゼーションとは「多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為を地球全体に拡大させる」現象を指すが、この現象を積極的に推し進めようとする思想がグローバリズムである。

 地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進めることをよしとするグローバリズムは1992年以降さかんになったが、「イデオロギーで対立するのではなく、市場主義経済システムを導入することで人類全体が豊かになろう」という、現在から見ればすこぶるナイーブな発想だった。

 だがこのグローバリズムが現在のパンデミックのせいで終焉を迎えるのではないかと筆者は考えている。

 イデオロギーはしばしば価値観の対立を引き起こすことから、その運動はしばしば闘争的な様相を呈する。

 つい最近まで「資本主義的経済原理をすべての人が受け入れている以上、イデオロギー論争のような根本的な思想対立はあり得ない」とされてきたが、BLMという過激な運動が世界全体に広がっている現状を目にすると、「イデオロギーの亡霊が21世紀に復活した」との思いが頭をよぎる。

 国際政治の面でもイデオロギーの復活が予兆される事態が発生している。

 中国政府が「香港国家安全維持法」を施行したことを受け、ポンペイオ米国務長官は「これは米国対中国の懸案ではない。自由主義対権威主義を巡る懸案だ」と発言した。

 21世紀の国際社会は、経済的便益のために中国の「蛮行」に目をつぶってきたが、もはや自らの価値観に反する行為を見逃すわけにはいかなくなってきている。この傾向をパンデミックが後押ししていることは間違いないだろう。

 筆者は以前のコラムで「米中間の軍事衝突のリスクがある」と指摘したが、雲行きが怪しくなっているのは中国とインドというアジアの2大国間の国境問題である。

 両国はヒマラヤ山脈を走る4056キロメートルもの国境をめぐって長年対立している。インドを植民地統治していた英国の行政官が定めた実効境界線はあるものの、両国は長らく国境地域に部隊を送って警戒発動を行ってきた。40年以上にわたり死者を出す武力衝突は生じていなかったが、今年6月、両軍に多数の死傷者が発生する事態となり、その後も両軍の緊張関係が続いている。

 その背景には「一帯一路」を進めている中国が、協力を得ようとして融和的なアプローチを行っているにもかかわらず、「一帯一路」を拒否する姿勢を崩さないインドに対して不満が高まっていたことがあると言われている。

 トランプ大統領が6月30日、新型コロナウイルスのパンデミックを念頭に「中国への怒りはますます激しくなっている」と述べたように、米国との対立が一層深刻化する中国にとって「一帯一路」は自国の生き残りのための生命線であり、「これを妨害するインドは実力を行使してでもなんとかしなければならない」との決意を強めている可能性がある。

 中国の中央軍事委員会は25日、人民解放軍の軍事医学研究院とともに新型コロナウイルスのワクチンを開発している中国の製薬会社カンシノ・バイオロジクスに対して、完成間近と言われる同社のワクチンの軍での使用を1年間だけ認めるという異例の決定を下した(6月29日付けブルームバーグ)。

 ワクチンを接種した「無敵」の人民解放軍が、コロナ渦で苦しむインドに侵攻するのは時間の問題なのかもしれない。

 19世紀半ばから20世紀前半までの第一次グローバリゼーションは第1次世界大戦で幕を閉じたが、今回のグローバリゼーションも悲しい結末が待っているのだろうか。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月7日掲載

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