中南米が「パンデミックの中心地」となった構造的要因

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 中南米の多くの国が、国境封鎖や外出禁止令など厳しい防疫体制を敷いて新型コロナウイルスの感染拡大に対応して6月で100日が経過した。

 しかし、未だ感染拡大のピークは確認されていない。むしろ6月に入り急拡大を続け、7月5日現在、全体で感染者数約300万人、死者数は13万人を数え、まさに中南米は「グローバル・パンデミックの中心地」となった。

隔離政策の失敗は明らか

 ウルグアイ(感染者数955人、死者28人)を除くと、これまでの隔離政策の失敗は明らかである。

 生命と生活(経済)を守る政策ジレンマの中で、感染防止と社会経済活動の折り合いをつける局面を迎えているが、隔離政策下で見切り発車的に経済が再開されることが繰り返され、感染が拡大する危険性がある。

 厳しい行動制限によってもウイルスの蔓延を封じ込められなかった原因としては、総じて脆弱な医療体制、医療設備・資源の地域的偏在の問題がまず挙げられるが、政府のガバナンス能力の低さと、政府に対する国民の信頼度の低さが根底にはある。

 また、貧富の格差の大きさに加え、就業人口に占める非正規労働者(インフォーマル雇用)の比率の高さや都市貧困層の住環境が劣悪(高い人口密度)であることなどの社会の構造的特性、集団行動が不得手な個人主義的な文化、国民的危機にも団結できない社会の分断などの要因が関係している。

 後述するペルーの例が、政策の限界を物語っている。

GDPマイナス7.2%の見通し

 世界銀行の「世界経済見通し」(6月8日発表)で、2020年の中南米経済は平均GDPマイナス7.2%と下方修正され、さらに24日に出された国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」では、マイナス9.4%と下落幅を広げている。

 今後、状況が悪化する場合には、さらに経済は下押しされ、2021年の回復(IMFの予測では3.7%)も遅れ、政治社会への影響も深刻さを増す可能性がある。

 中南米諸国は、2014年以降続いた経済低迷を背景に、保健など劣悪な公共サービスへの不満、政治や政府への不信、社会格差と分断などを争点に、昨年は大規模な反政府抗議活動の地域連鎖にみまわれた。その中で直面したコロナ危機への対応である。

 昨年の反政府抗議活動については、以下の過去記事と『ラテンアメリカ時報』2020年春号の拙稿「2010年代末に起きた社会騒乱の連鎖をどう読むか」を参照していただきたい。

分岐点に立つ「2019年の中南米」(1)「民主主義の危機」から脱却できるか(2019年10月8日) 

分岐点に立つ「2019年の中南米」(2)チリの抗議運動が投げかけたもの(2019年11月15日)

 隔離政策は貧困や失業の急増(国際労働機関ILOの試算では4700万人の雇用が喪失)、企業の倒産などすでに地域社会に甚大な影響を及ぼしている。

 空路が閉ざされ、「LATAM」、「AVIANCA」、「AEROMEXICO」といった中南米屈指の航空会社が軒並み破産申請の手続きに入った。地理的特性から空路に依拠する地域の経済や社会に及ぼす影響は大きい。

感染拡大の抑え込みに失敗した主要国

 主要国の現状を見ていこう。

 まずブラジルでは、新型コロナを「ただのカゼだ」とし、パンデミックに対する「世界の反応は過剰」と公言するジャイール・ボルソナーロ大統領の下で経済が優先され、さらに2人の保健相が辞任するなど一貫した隔離政策がとられず、米国に次ぐ爆発的拡大の勢いを見せている。

 感染者は1日4万人の勢いで増え、157万人。死者は6万4000人に達する。6月一月で感染者数は2.5倍、死者の数は2倍となった。(数字はいずれも7月5日現在)

 ペルーとチリでは検査数を増やし、死者数を抑えたが、感染拡大の抑え込みには失敗した。いずれも感染者数は30万人。6月23日にスペイン、イタリアを、7月3日に英国を抜いて世界5位、6位まで順位を上げた。

 特にチリは、人口比で見た感染者数が世界でも群を抜いて多い。チリの死者数には、死後に感染の可能性が発覚した3069人が追加される予定である。

 メキシコは感染者数における死者数の比率が高く、10日で7000人増加。死者数は3倍に達すると見られている。

 アルゼンチン、コロンビアは感染拡大の抑え込みに成功したと見られたが、経済再開に伴い6月に入り再び急増している。コロンビアの感染者数は6月28日に中国を抜き、11万人を超え、1日4000人規模で加速的に増加している。アルゼンチンも7万人を超え、1日当たりの新規感染者が最多となった。

ペルーが被った最悪の経済的影響

 ペルーは「経済制限指数」(オックスフォード大学)で見ても、マルティン・ビスカラ政権が早期に最も厳しい対策を取って感染の拡大に備えた。公的債務残高の縮小など健全な財政運営を背景に、総額でGDP比12%に相当する緊急経済政策を打って対応したが、3月16日に開始された厳しい隔離が6月末までの長期に及んだため、政策の効果が相殺され、経済的影響が拡大した。

 そのうえ先述の通り、感染拡大の抑え込みには失敗したと言わざるを得ない。

 6月の中央銀行の経済報告によれば、2020年4月のGDPは前年同月比で40.5%減少し、2020年全体ではマイナス12.5%と、過去100年間で最悪の下落の見通しとなった。

 世界銀行の「世界経済見通し」でも、ペルーはGDPマイナス12%と地域の中でも断トツで経済が収縮する。さらにIMFの「世界経済見通し」では約14%(13.9%)と下落幅を広げている。中央銀行は、第2四半期を底に第3四半期から徐々に経済は回復し、2021年は11.5%のV字回復を予想するが、世界銀行は7%、IMFは6.5%の予想に止まっている。

 1日の新規増加数は3000人前後と頭打ちの傾向が見られているが、7月1日から経済活動が再開される中で、感染者数の拡大次第では、景気刺激策による経済回復も進まず、予断を許さない厳しい状況が続くものと予想される。

課題解決を放置してきたツケ

 ペルーは21世紀に入り、慎重なマクロ経済運営の下で、年率約5%の堅調な経済成長を遂げ、貧困率の著しい減少(60%から20%へ)を実現。潤沢な外貨準備を積み増しするなど、国際機関からも高い評価を得てきた。特に経済財政省と中央銀行の運営能力や自立性は高まった。

 だが、持続成長の結果として医療費自体は増加してきたものの、厳しい財政規律策の下で、医療費など社会支出の割合は中南米では平均以下の低い水準(GDP比4%)に止まったままである。

 医療体制の地域的な偏在が著しい上に、低所得層の住環境や公衆衛生上の課題は大きかった。質の差の著しい民間医療機関と公的医療機関(両者の協力関係の欠如)、正規雇用者を対象とする労働省の管轄する医療保険と、非拠出の低所得層を対象に保健省が管轄する医療保険の縦割り行政の弊害が解決されずにきた。

 保健や教育、交通インフラ、治安など公共サービス分野は劣悪であり、その向上に資する政府の行政能力は旧態依然のままであった。特に地方分権化に伴い求められた地方自治体の行政能力の向上は大きな課題であった。資源開発に伴い自治体に還付された潤沢な資金が、財政規律を求める経済財政省の認可が下りず、活用されずにきたというのが実態である。GDP比12%に相当する緊急経済政策の資金がいかに迅速に社会に届けられるか、行政能力にかかっていたはずである。

 また就業人口に占める非正規雇用者の比率が地域の平均を大きく上回る70%を超えているのも、ペルー社会の最大の特徴である。大多数の国民が法制度の枠外に置かれてきたというのが実際のところで、社会福祉の向上において最大のネックとなってきた。

 来年2021年の独立200周年を見据えて経済開発協力機構(OECD)加盟を目標に、生産性向上に向け、そうした課題の解決を国家目標としてきたが、歴代大統領が絡む大規模汚職の露呈などによる政治の混乱で、放置されてきた。

 そのツケが今回のパンデミックの襲撃により、図らずも露呈される結果となった(『新 世界の社会福祉 10中南米』の拙稿「ペルーの社会福祉―分断的社会における普遍化への取り組みと課題」旬報社、2020年3月)。

貧困層は自宅での隔離自体が「密」

 ビスカラ政権の取った厳しい行動制限は、非正規労働者には即、雇用の喪失による生活の窮状を招くことを意味する。

 中央銀行によれば、3~5月のリマ首都圏の雇用は前年同期比で47.6%減少している。貧困率は所得水準を基準としているが、持続成長により貧困ラインを脱した脆弱な中間層も、経済活動が遮断されると雇用機会を失い、所得を失うことになる。こうした構造的な社会の特徴や限界から見て、厳格な社会隔離政策が果たして妥当であったかという疑問は残る。

 また経済の再開にあたっても、感染リスクのある地域やセクターを重点的に追跡する必要があるが、そのための防疫ガバナンスはおぼつかないのが現実だ。

 資産を含めた社会格差も影を落としている。富裕層はテレワーク、遠隔授業を含め自宅での隔離が可能であるが、貧困層は自宅での隔離自体が「密」になる。冷蔵庫を持たない世帯が半数を占め、手を洗う水も不足し、街に出ざるを得ないのが実情だ。多くの人が銀行口座を持たず、現金給付も届かない。彼らが金融機関に殺到して長い列と「密」を作り、ウイルスが蔓延する機会を増やしてしまう。貧困層ではないが、現金給付を手にできない低所得層もかなりの数に上る。

 移動制限を守らせるべく配置された警察官も準備のないままに活動し、警察自体に感染者が増え(1500人)、死者数も170人に上る惨憺たる状況である。

 ポピュリズム政治の下にあるブラジルなどとは対照的に、ビスカラ政権は早期に一貫した厳しい隔離策を敷き、大胆な財政・金融政策をもって危機に対抗してきた。本サイトでも筆者は、それを高く評価してきたのだが、保健を含めた行政能力と社会の対応には、大きな限界があったと言わざるを得ない。

遅野井茂雄
筑波大学名誉教授。1952年松本市生れ。東京外国語大学卒。筑波大学大学院修士課程修了後、アジア経済研究所入所。ペルー問題研究所客員研究員、在ペルー日本国大使館1等書記官、アジア経済研究所主任調査研究員、南山大学教授を経て、2003年より筑波大学大学院教授、人文社会系長、2018年4月より現職。専門はラテンアメリカ政治・国際関係。主著に『試練のフジモリ大統領―現代ペルー危機をどう捉えるか』(日本放送出版協会、共著)、『現代ペルーとフジモリ政権 (アジアを見る眼)』(アジア経済研究所)、『ラテンアメリカ世界を生きる』(新評論、共著)、『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』(アジア経済研究所、編著)、『現代アンデス諸国の政治変動』(明石書店、共著)など。

Foresight 2020年7月7日掲載

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