巨人、期待の新戦力「湯浅大」の健大高崎時代、67試合で盗塁68という韋駄天

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右手首骨折の悲劇

 とはいえ、プロに指名されたのには、“武器”があったからこそ。彼の場合、172センチ70キロと小柄ではあるが、50メートル6秒フラットという脚力が彼の最大の魅力であった。

 湯浅は高校進学の際に、その脚力を活かすべく、まさにベストの選択をしている。15年春のことだった。

 進学したのは地元群馬の高崎健康福祉大高崎で、高校野球界では“健大高崎”の愛称で知られている強豪校だった。

 加えて健大高崎といえば、徹底した機動力で相手チームをかく乱する、“機動破壊”を得意戦法としている。まさに湯浅は、チーム戦略にピッタリとフィットした選手だったのだ。

 そして、その才能が早くも認められる。1年夏の県予選から控え選手としてベンチ入りを果たしたのだ。

 その夏、夏の県大会を勝ち抜いた健大高崎は見事に甲子園出場を果たすことに。だが、惜しくも湯浅は甲子園でのベンチ入りメンバーからは漏れてしまうこととなる。

 だが、チームが夏の甲子園で3回戦敗退し、新チームが結成されると、すかさずショートのレギュラーの座を獲得した。

 秋の県予選は準決勝で、翌2年夏の県予選は決勝戦で敗退と、惜しくも甲子園にはあと一歩届かなかったが、主将・1番・ショートの座を任された2年秋には県大会準優勝と関東大会ベスト4入りを達成し、17年春の第89回選抜大会への出場を果たした。

 ちなみに、秋は公式戦8試合で23打数11安打9四死球の打率4割7分8厘をマークし、盗塁数もチーム内2位の8盗塁を数えている。まさにチームの絶対的リード・オフ・マンとして八面六臂の大活躍ぶりであった。

 しかし、好事魔多し。肝心の春の選抜を直前に控えた17年2月中旬に右手首を骨折してしまう。手術を受けたものの、その影響もあって、一時戦線を離脱することとなってしまった。

 その後、リハビリを積み、ケガ明けで選抜に挑むことに。だが、とてもレギュラーとしてフル出場できる状態ではなく、準々決勝までの4試合(延長15回引き分け再試合含む)のうち、代走で1試合、守備固めで1試合の出場に留まった(打撃成績は記録されていない)。そしてチームもベスト8で敗退を喫してしまった。

 さらに大会終了後に、骨折した箇所の骨の再手術を受けるハメになった。これにより、再び戦線離脱を余儀なくされてしまったのである。

 それでも3年の夏は県予選3回戦から7番・ショートで待望の実践復帰を果たした。するとそこからの4試合で16打数7安打と打ちまくり、なんと打率4割3分8厘、4打点の大活躍を見せたのである。

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