小池都知事、カイロ時代の道ならぬ恋 日本人空手家との関係証言

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「恋多き女」

 小池氏は73年、カイロ大学に入学したとされる(小池氏の著書では72年入学と記載)。その頃、同じくカイロに住んでいた日本人男性と数カ月の間だけ、結婚生活を送っていた。

 この男性と別れ、76年、カイロ大学を“卒業”した後、小池氏は家族ぐるみで面倒を見てもらっていたフィクサー、朝堂院大覚(ちょうどういんだいかく)氏に件の空手家を引き合わせている。

 空手家は41年、岡山県に生まれた。国士舘大学空手道部出身で、大学時代に見た映画「アラビアのロレンス」に憧れ、卒業後、シリアに渡る。そして、76年にカイロへと拠点を移し、空手の指導やスーパーの経営をしながら、晩年まで暮らした。

 朝堂院氏が回想する。

「その頃、百合子が来て、“学校を辞めた。ついては(空手家と)空手雑誌をやりたい”と支援を求められ、実際にカネを出してやった。一緒に雑誌で一儲けしようと思ったんだろうけど、百合子は空手のことは分からないし、うまくいかなかった。彼は百合子の恋人で、まもなく別れたのだろう」

 離婚後に交際していた空手家の存在。これについては、別の証言もある。

 カイロ在住の彼の知人が当時、空手家本人から聞き及んでいるのだ。その知人によれば、

「あるとき、小池さんとの関係を尋ねたんです。すると、“親しくしていましたよ”と言って、こう続けました。“彼女は恋多き女でねえ、それこそ付き合っていたこともあった。男女の関係があったんです”。彼は小池さんのお父さんとも交流があったので、親しくなったのではないでしょうか」

 空手家は72年から80年代初めまで日本人女性と婚姻関係にあり、その後はエジプト人女性と再婚した。道ならぬ恋だったのだろうか、空手家は小池氏とのことを明かさぬまま、11年前に亡くなっている。

 小池氏は空手家との交際について、「事実に反するもの」と回答するのみだった。

週刊新潮 2020年6月25日号掲載

特集「原点回帰という『小池百合子』妖婦の原点」より

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