【特別対談】「制裁外交」から見える「盟主」アメリカの揺らぎ(中)

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 杉田弘毅さん(共同通信社特別編集委員)の著書『アメリカの制裁外交』(岩波新書、2月刊)を題材に、国際関係論や外交史、アメリカ研究が専門の三牧聖子さん(高崎経済大学准教授)との白熱した「Zoom」対談。その舌鋒は、アメリカという国家の本質にまで鋭く斬り込んでいく。その第2回――。

三牧聖子:ドナルド・トランプ政権は、意識してバラク・オバマ前政権との差異を強調してきました。

 確かにイランへの対応に関しては、多国間の解決を図ろうとしたオバマ政権に対し、トランプ政権は違う方向に舵を切った。対照的です。しかしより巨視的に、制裁外交というレンズを通して見ると、両者の連続性も見える。オバマ前大統領はシリア内戦への対応を問われて、米国は「世界の警察官ではない」と明言しましたが、それは世界に介入しないという宣言ではなく、経済制裁という形では介入し続けていた。

実は連続している「オバマ」「トランプ」

三牧:オバマ前大統領は「ドローン・プレジデント」と呼ばれたほど、ドローンや経済制裁など、米兵を命の危険にさらさない方法をうまく使った大統領です。こうした面において、トランプ政権とオバマ政権は、断絶よりむしろ連続している。

 さらにジョージ・ブッシュ(子)政権も、2001年に9・11同時多発テロ事件に際し、実行者であるアルカイダを糾弾し、世界に向かって“アメリカの側につくのか、それともテロリストの側につくのか”と迫り、その後アフガン戦争になだれ込んでいった。この姿が印象的で今でも鮮明に記憶に残っているのですが、実は先生が本書(『アメリカの制裁外交』岩波新書)で描き出しているように、テロリストを干上がらせるための経済制裁も行っている。しかも、ここでいう「テロの支援者」の定義は非常にあいまいで、その範囲はどこまでも拡張しうるものだった。この曖昧さを利用して、先生が描くアメリカの「司直の長い腕」はどこまでも際限なく伸びていく。その決定的なきっかけが「9・11」にあった。これは私もうまく捉えていなかった点です。

 アフガン戦争に始まる「テロとの戦い」だけでなく、経済制裁に注目しても、「9・11」は、アメリカと世界とのかかわり方における、本当に大きなターニングポイントであったことを改めて感じました。

杉田弘毅:「9・11」はアメリカがいろんなことで試された出来事だった。中でも制裁に関しては、この時から始まった金融制裁というものが非常に大きな力を持った。

 先ほどから出てきている規範ということで言うと、やはり“テロというのはよくない”という規範が1980年代から90年代にかけて出来上がっていった。

 特にイスラムのテロに関しては、米中ロの大国も含めてほとんどの国が、当然ながら“悪”ということに決めていったので、「9・11」後には、アメリカの言うことに対して誰も何も反論をさしはさめないという状況になり、国際社会のスタンダードになってしまった。

 三牧先生もおっしゃっていたブッシュ大統領の愛国主義は、星条旗に体を包まれているようなものでしたが、それが国際社会にも“異論は絶対に許さない”という感じで広がった。フランスの新聞が「われわれはみんなニューヨーカーである」と書いた時は美しかったが、やがてそれは強制になった。

 本来ならば、そういう流れに対して立ち止まり、それは本当なのかと思う必要があったと思うのですが、それは力にならなかった。国際社会全体がアメリカ愛国主義みたいになってしまった。

禁じ手「金融制裁」の背景

杉田:金融制裁で、ドルの力を使うとは何を意味するか。それは直接の制裁対象以外の第三国の個人・組織も被害を蒙ってしまうことで、国際社会にすごく大きな影響を与える、いわば禁じ手です。だから1980年代であれば、そうした制裁に巻き込まれる第三国が必ずアメリカに対して抗議をしていたけれども、「9・11」で地球全体がアメリカ愛国主義になってしまってアメリカに異論を唱えられない雰囲気になり、金融制裁が始まった。

 ドルの力を背景にした制裁などよくもまあ考え付いたな、米財務省の人は頭がいいなと思いますが、米国はある特定の人々、国、あるいは企業にドルを使わせないということがどんなに痛手か、ということに気づいた。

 ドルはさまざまなビジネスにとって血液のようなもので、これがなかったら死んでしまうくらい意味のあるものです。ただ、金融制裁を始めたことで、結局はパンドラの箱を開けたことになり、ここからイタチごっこが始まる。ドルの支配を逃れて人民元を使った貿易が徐々に増え、ユーロを使おうという動きが出てくる。あるいは最近、イランとベネズエラは貿易決済に金(ゴールド)を使っている。こうなるともう、通貨ができる前の状況に戻りつつあるみたいです。

 こうした形で、ドルの根源的な力が少しずつ損なわれ、ドル離れが国際社会で進んでいます。

 もちろん、基軸通貨であるドルの力は簡単には覆せない。

 なぜドルが世界の基軸通貨であり続けてきたのか。

 それは当然ながら、アメリカ経済が世界一だということがありますが、もう1つ、ドルが大変使い勝手がいい、という理由がある。

 中国経済がこれだけ大きくなったにもかかわらず、なぜ人民元がドルと並ぶような通貨にならないのかを考えるとよくわかる。

 つまり、中国政府が人民元をコントロールしていて、一定額以上のドルと人民元とを交換してはいけないとか、人民元を外国に持ち出してはいけないといったいろいろなルールがある。ドルの場合は一切そういうルールがない。そこに人民元の使い勝手の悪さという弱みが出てくる。

 そしてドルが強い最大の理由は、やはりアメリカ軍が最後は何としてでもドルを守っているから。軍は当然アメリカという国家を守っているわけですが、その中でFRB(連邦準備制度理事会)やそのシステムを守る、あるいは財務省を守っている。ドルを持っている人は、第1次大戦後のドイツマルクが紙切れになったような敗戦国の悲哀を心配しなくてよい。

 しかし、戦争はしないという大統領の下でアメリカ軍が張子の虎のようになると、基軸通貨ドルの強みの裏付けであるアメリカ軍の力はどう認識されるのかな、という懸念も浮かんでくる。

 また最近のように、トランプ大統領が国内暴動に連邦軍を出動させるなど言って、マーク・エスパー国防長官はたじろぎ、ジェームズ・マティス前国防長官などは“こんなけしからん大統領はいない”と言うような状態になると、アメリカ軍はどうなってしまうのかなという疑問――どうにもならないとは思うけれども――軍の正当性にクエスチョンマークがつく危機的な事態が起こりうると思ってしまう。

 こうしたいろいろな面で、金融制裁はアメリカの将来に対して意味を持っているという気がします。

アメリカの本質を知らない大統領

三牧:非常に本質的なご指摘をいただいたと思います。

 経済制裁という観点から見ると、別にトランプ大統領がいきなり始めたわけではないのですが、先生も本書の後半で描かれているように、トランプ政権になって、金融制裁の数も対象も法外に増えている。しかも今おっしゃったように、使い勝手がいいということでここまで乱発されてきた。これにより、アメリカの強みになってきたドルの価値が、むしろ毀損されることになっている。

 先生のお話を聞いていても、トランプ大統領の政策に道義的な問題があることは、常々指摘されてきたところですが、純粋にアメリカの国益に照らしても、得策でないことが多くあることがわかってくる。アメリカのパワーの源泉がどこにあるかを本質的にわかっていない大統領といえるのではないでしょうか。

 金融ネットワークは、その開放性を保ち、使用者に便益を与え、みんなに使い続けてもらうことで維持されてきました。つまり、アメリカが一方的に利益を与えているわけではなく、アメリカも、根本的には、自らが優位を占める国際秩序を維持することで利益を得てきたわけです。そうした意識は今までの大統領にはありましたが、トランプ大統領には希薄です。そのことは就任演説がよく表していました。アメリカは人がよくて、それをつけこまれ、他国に収奪されてきたのだという被害者認識が全面的に打ち出されていました。そこには、世界がドルの金融ネットワークを使ってくれることでアメリカも大きな利益を得てきた、という認識がまったくない。

 これは移民問題にも言えることです。

 たとえば対中関係の悪化の中で、中国人学生のビザを取り消す、もう出さないみたいな話がすぐ出てくる。中国という国家と中国人を簡単に重ね合わせてしまう。もちろん米中関係の冷え込みの中で、対中警戒心が高まることもわかります。中国という国家の特性を考えれば、国家としての関係と、米国内の中国人の問題を完全に切り離して考えることが難しいのも理解できます。

 しかし、アメリカはこれまで、世界中から優秀な学生をオープンに受け入れることを技術発展の原動力にしてきた。移民で活力を得てイノベーションを実現してきた。そしてその開放性に、世界のどの国も比肩できない米国の魅力があった。突如、そのドアを極端に狭めることは、米中関係のみならず、世界における米国のモラル・パワーにも影響します。トランプ大統領はこうしたことを考えず、すぐに相手に最も衝撃を与える極端な方法を考えて、それをほのめかしてしまう。やはり、アメリカの強さの本当の源泉をわかっていない大統領という印象です。 

 つまり、トランプ大統領には、“アメリカは理念の国”という自意識がない。そのことはアメリカの利益を損なっています。アメリカの大統領とは、たとえばいま、国内で高まっている人種差別に対する抗議デモへの対応でも、必ず、世界へのメッセージを意識する存在であるべきだと思います。冷戦中だったら、ソ連に「アメリカこそが自由を蹂躙している」という言質を取られないように、また国際社会に向かってアメリカこそが世界の真のリーダーであることを説得するために、道義的なメッセージを発し続けました。もちろん偽善も多々ありました。しかし、アメリカがメッセージを発することをやめたことはありませんでした。

 今だって、中国はトランプ大統領の言動を逐一観察し、アメリカの大統領らしからぬ発言があれば、いくらでも言葉尻をとらえて批判してくることはわかっている。それでもトランプ大統領は、配慮を欠いた、短絡的なメッセージを発してしまう。

 さらに、COVID-19の感染拡大の最中に、WHO(世界保健機関)を脱退すると表明したことも、米国のモラル・パワーという点でマイナスです。そもそもWHOを脱退するには、1年前の通告や、それまでに納めるべきものを納めるなど様々なハードルがあるのですが、WHOの支出の多くは、世界で最も貧しい国々の医療プログラムに対するものです。最大の支出国であるアメリカが脱退すれば、これらの国々への支援が滞り、そこに住む人々の命が危険にさらされる。なのに、こうしたことを考えた形跡はない。

 確かにWHOに限らず、また、トランプ政権に限らず、国際機関とアメリカとの関係は、歴史的にいつも愛憎半ばのようなところがありました。しかしアメリカは、国際機関の活動に貢献し、国際規範や国際法の確立のために行動してきたことで、自身の国際社会における地位を確立し、利益を得てきた。そのことを理解せず、国際機関との関係を打ち切ることにためらいを感じない点に、私はトランプ大統領の強さよりも、むしろ弱さがあるように感じています。

アメリカン・ドリームの喪失

杉田:11月の大統領選挙で、仮に民主党のジョー・バイデン前副大統領が当選したとしても、アメリカがすぐ変わることはないと思う。一言で言うと「アメリカン・ドリームの喪失」が常態化していて、大統領が交代してどうなるものではない。

 国際社会に目を転じても、制裁を軸として、半分しぶしぶながらアメリカに付いているヨーロッパおよび日本というグループと、制裁によって痛めつけられている中国、ロシア、イラン、北朝鮮、ベネズエラ、キューバといった国々に圏域が分かれてしまっている。

 いわゆる理念における言論合戦においては、ヨーロッパや日本も含めて、「イランはかわいそうだな」という思いが広がっている。アメリカはイランの核・ミサイル計画の脅威や周辺国の民兵組織へのテコ入れの問題を国際社会にうまく説得できていない。むしろアメリカの核合意離脱の理不尽さが際立ってしまっている。

 一方中国については、今回の香港に対する国家安全法制の押し付けは大変ひどいことではあるが、ただCOVID-19が発生する前の段階では、グローバライゼーションの旗手は中国だとか、リーダーシップは中国が握る、といったようなうまい表現をしていた。それに対してトランプ大統領については「信用できない人だね」みたいな世論ができあがってしまったところがある。

 だから、われわれにとっては受け入れがたい、いわゆる強権主義的な国家体制の国々が集まって団結してしまって、彼らの言説がそれなりのメッセージ性を持って国際社会に受け入れられてしまうという、不思議な状況ができてしまった。バイデン候補がもし当選すれば、少し違った飾りつけのメッセージが出てきて、少しは変わってくるかもしれません。

 ただ、根本的な部分における民主主義の機能不全の問題、格差を拡大し中間層を失い続ける資本主義の問題は依然として残ります。

 結局アメリカにおいてなぜバーニー・サンダース、エリザベス・ウォーレンといった人たちがあれだけの人気になったのか、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(史上最年少の女性下院議員、民主党)に対してなぜあれだけの若い人たちが集うのかということを考えると、背景には民主主義と資本主義の問題があり、メインストリームの政治家ではそれは解決できないという若者たちの結論がある。

 ではバイデン候補が当選しても、バイデン氏が持っているいわゆるコラプション(腐敗)的な感じ、中国も含む外国系の大企業からのお金がバイデン一家に入っているみたいな話がどんどんふくらんでいますから、やはりこの部分に対するアメリカの一般の人たちが持つ不満は終わらないと思う。

 ということは、アメリカが抱えている「アメリカン・ドリームの喪失」という問題はなかなか解決していかない。

 ジョン・F・ケネディ時代のようなあるいは、第2次大戦が終わったころのアメリカは、徹底的に開発独裁を支援したり、CIA(米中央情報局)を使ってクーデターを起こしたりなどしながらも、メッセージとして自由や民主主義を持ち出せば、広く国民が受け入れて「そうだそうだ」と言ってくれた。アジアやアフリカの民族解放戦線の人々も、アメリカの民主主義理念を1つのモデルとしていた。

 そんな時代が持っている“輝かしいアメリカ”を今は示すことができない。映像で見せつけられる人種間の対決や暴動、闘争、しかも1960年代の公民権運動の時の対立には手ごたえとしてあった「将来への希望」が今はない。アメリカが輝きを取り戻すのは、トランプ大統領が退場したとしてもなかなか難しいのかな、と思います。

求められ始めた「新自由主義」の修正

三牧:アメリカン・ドリームの喪失は、いまのアメリカを考える上で、鍵の1つだと思います。

 COVID-19への対応では、国民の意向にとらわれずに、劇的な措置をとれる権威主義の国の方がうまく対処し、民主主義は個人の行動を制限するのにいろんな拘束があるから、権威主義の方が効果だけ見たらよかったというような言説がありますが、私はもう1つの軸として、新自由主義の問題を考える必要があると思います。

 今のアメリカの格差の問題は、ここ数十年進められてきた新自由主義の最終的な帰結とみることができます。その中でずっと割を食ってきた若者たちが、サンダースやウォーレン、オカシオ・コルテスらが掲げる社会主義や福祉国家のヴィジョンにひきつけられています。

 今回のCOVID-19感染についていえば、欧州はアジアよりも全体的に被害は大きいのですが、それでもなんとか持ちこたえたところは、ドイツのように新自由主義を全体的には進めつつ、医療までは及んでいなかった、つまり新自由主義に基づく合理化が不徹底だった国です。新自由主義の考えでは無駄なベッドが、感染症という事態になって、いきなり活用された。「無駄」なベッドがあったから、危機にうまく対処できた。新自由主義的な改革に後れをとっていた国がうまく感染症に対処し、アメリカのように極限までそれを進めていた国が最大の感染国になり、死者数を出すという結果になった。

 まさにいま、サンダースの語る「メディケア・フォー・オール(国民皆保険)」の理念がかなりのリアリティをもって国民に届く局面になっていると思います。アメリカがこの数十年ひた走ってきた方向が、生命や福祉の観点からはすごくマイナスで、かなりラディカルに国家像を転換し、「大きな政府」に向かわねばならないという発想が、多くの人々に共有されるようになっている。サンダースは、こうした発想はアメリカにとって決して異質なものではない、むしろ伝統的なものですよという意味をこめて、ニューディールやフランクリン・ルーズベルト(第32代米大統領)の名前も出しながら、連続性も訴えている。COVID-19という未曾有の危機を背景に、いよいよ多くのアメリカ国民も、そう納得しつつあるのではないでしょうか。(つづく)

杉田弘毅
共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科講師なども務める。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)など。

三牧聖子
高崎経済大学経済学部国際学科准教授。国際関係論、外交史、平和研究、アメリカ研究。東京大学教養学部卒、同大大学院総合文化研究科で博士号取得(学術)。日本学術振興会特別研究員、早稲田大学助手、米国ハーバード大学、ジョンズホプキンズ大学研究員、関西外国語大学助教等を経て2017年より現職。2019年より『朝日新聞』論壇委員も務める。著書に『戦争違法化運動の時代-「危機の20年」のアメリカ国際関係思想』(名古屋大学出版会、2014年、アメリカ学会清水博賞)など。共訳・解説『リベラリズムー失われた歴史と現在』(ヘレナ・ローゼンブラット著、青土社)が来月刊行予定。

Foresight 2020年6月27日掲載

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