吉本興業と山口組の関係 伝説の広報マンが語った「林元会長の仰天秘話」

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林正之助会長は山口組の準構成員

 闇営業が発覚した後、7月20日に宮迫と亮が記者会見を開いた。

「吉本興業は、会見はするなと言っていたので、宮迫たちと対立していました。2時間半にも及んだ会見では、最初、謝罪をしたものの、次第に事件の状況説明になってきて、会見を開くまでの吉本興業や岡本昭彦社長とのやりとりまで明かして、釈明会見になりました。振り込め詐欺グループは40億円もの被害を出し、40名が逮捕されています。そんな悪質な事件だったわけですから、とにかく謝罪だけすべきでした」

 宮迫らの会見の2日後、今度は岡本社長が5時間半にわたって会見を開いた。

「この会見は、まったく中身がありませんでした。記者が質問しても、答えられない場面がいくつもあった。記者が『岡本社長にしかできないことはなんですか?』と質問すると、しばらく沈黙して、『みんなにあとで聞いときます』と答えて失笑されていました」

 とはいえ、宮迫は運が悪かったという。

「入江に声をかけられて、謝礼とかは関係なく、ただ彼の顔を立てるつもりで忘年会に参加したのだと思います。実際、明石家さんまも、入江に貴重なサッカーグッズを手に入れてもらったので、声がかかったら参加していたかもしれない、と言っています。宮迫は、軽いのりで行ったら、相手が反社だった。貧乏くじを引いてしまった感じでしょう」

 芸人が闇営業を行うのは、吉本興業のギャラが低いからと指摘されているが、

「芸人の世界では固定給なんてありえません。金がなければ、バイトをすればいい、というのが私の持論です。あるいは、“髪結いの亭主”にでもなればいい。ギャラが少ないのは、売れていないからです。芸人は笑わせたい、売れたい、モテたいという欲を実現するために頑張るしかないのです。給料が安いから闇営業に行く、という考えはおかしいと思います」

 そもそも、吉本興業は40年前から、ヤクザと関わることを禁止していた。

「吉本興業は明治、大正、昭和初期まで、ヤクザとの関わりがありました。ところが1981年、山口組の田岡一雄三代目組長が亡くなる直前、吉本の舵をとっていた林正之助会長が所属芸人を集めて『今日から、ヤクザとは一切関わってはならん!』と宣言しました」

 もっとも、「ヤクザとは関わるな」と言った当の林会長は、その後同じ年に行われた田岡組長の葬儀に出席しているのだ。

「葬儀では、林会長は位牌を持ちながら歩いていました。親族と同じくらい、田岡組長と関係が深かったですね」

 林会長が田岡組長の葬儀に参列した様子をメディアが報じた。それを見た中田カウスが、会長と交わした会話を竹中氏は今でも鮮明に覚えている。本書から引用すると、

《会長には、新聞を見せて、これは会長やないんですか、と聞いてみたんです。すると会長は表情も変えずにおっしゃりました。“カウスくん、キミはボクに双子の兄弟がおるのを知らんかったんか? これはボクやなくて弟のほうや。しゃあない奴やな。きつく言っとくわ”と》

 吉本興業は、1912年に吉本泰三と妻のせい(旧姓・林)が興した。山口組と関係を持ったのは、1934年。浪曲師・広沢虎造の興行権を得るために、せいが山口組の山口登二代目組長と面会した。ところが吉本と映画出演の専属契約を結んだ虎造は、山口県下関の籠寅組と縁を持ち新興キネマの作品に出演する約束を結んでしまう。困ったせいは、山口組に仲介を依頼した。すると、1940年、山口登組長は籠寅組に襲撃され、瀕死の重傷を負い、2年後に亡くなってしまったという。

「林正之助氏の話によると、山口登組長が襲われた現場に当時総支配人だった正之助氏も行く予定だったというのです。用事があって30分遅れたため、助かったとうれしそうに言っていました。その後正之助氏は山口組と関係が深くなり、兵庫県警の内部資料である『広域暴力団山口組壊滅史』には、正之助氏が山口組準構成員と書かれてありました。所属芸人にヤクザとは一切関わるなと言ったのは、ヤクザと付き合うのは自分で最後だと言いたかったのでしょうね」

 林正之助氏は、1948年に吉本興業の社長に就任した。山口登組長の死は、吉本興業にも責任の一端があったことから、正之助氏は山口組の田岡一雄三代目と深い関係を持った。田岡組長の妻名義で4080株の自社株を持たせていたほど、身内同然の付き合いだったという。

 話を闇営業に戻そう。この騒動を機に、吉本は芸人とそれまで口約束だった契約を文書で結ぶようになった。

「口約束が時代に合わなくなったからです。100年前から芸人とは口約束で仕事をやっていました。これは、会社と芸人の間に人間同士の繋がりがあったから成立したもの。強い契りでした。が、今後は契約書がないと通らないということですね。コロナの影響でエンタメのあり方も変わってきました。吉本興業にはリーダーとなって、あの手この手を使ってエンタメを盛り上げて欲しいですね」

週刊新潮WEB取材班

2020年6月27日掲載

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