長谷川博己主演「麒麟がくる」って実は承認欲求を巡る物語なんじゃないか

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 我が母が教えてくれた言葉がある。「巧言令色鮮(すくな)し仁」だ。うまいことや綺麗事だけをペラペラしゃべるやつを信用するな、と。都知事選のたびに母の言葉を噛みしめるようにしている。

 しかし、人の本質を見極めることほど難しいものはない。うまいこと言う人や褒め上手な人には、つい絆(ほだ)されてしまう。「いい人♪」と思っても、相手は私を求めていなかったり、「つなぎ」や「駒」としか見ていなかったりして、落胆することも多々ある。私の承認欲求が強すぎるのだろうか?

 そんな折、大河ドラマ「麒麟がくる」が、じわじわと心を占領し始めた。最初は「明智さんちも大変ねぇ」くらいのゆるさで観ていたが、メモを読み返したら案外私好みだと判明。これ、主人公が人の本質を見極めようと品定めする物語なのだ。明智光秀役の長谷川博己に見せ場が少ないと思っていたが、今はまだ序の口。謎に満ちた結末への布石なのね、と急遽、襟を正した。

 まず、モックンこと本木雅弘が演じる斎藤利政(道三)に対して、長谷川は「どケチ」とディスり、「主君が嫌い」と豪語しちゃう。また、事なかれ主義でお調子者の叔父・明智光安(西村まさ彦)に対しても、不安しか感じず。最初の頃、長谷川は人に対して要求も大きく、不満を抱きがちだったのだ。

 ところが、である。いいようにこき使われ、都会を見物し、ありとあらゆる階層の人々にもまれていく中で、長谷川はじっくりと人間観察をして、時勢を読むようになる。斎藤家の親子兄弟の確執に巻き込まれつつも「見る目」を極めていく。そして、モックンの審美眼や大局観、西村の自己犠牲で家を守ろうとする芯の強さに触れ、己の浅さに気づく。「本当にリスペクトできる武将、ついていくべきリーダーは誰?」と熟慮を重ねるようになるのだ。

 もうひとつ、承認欲求の物語という見方もある。

 まず斎藤さんち。父モックンに認めてもらえず、拗ねまくる斎藤高政(伊藤英明)は、自分の気持ちを正当化するための嘘を言いふらし、弟(長谷川純)、そして父をも手にかけるのだ。「親殺しの汚名が先々つきまとう」ことで、ようやく父の意図に気付く間抜けさ。

 織田さんちは母(檀れい)の寵愛を受けてきた弟(木村了)を殺しちゃう織田信長(染谷将太)ね。親に認められたいがあまり、愚行ともいえる凶行に走る単細胞っぷり。謀殺の背景に承認欲求。腑に落ちる。冷酷非道と後世に語り継ぐのではなく、器の小ささを汚名として残すべし。もうね、こういう人間の狭量や浅薄を見せるドラマは大好物です。

 マイベストシーンは可愛がっていた鷹をモックンに皆殺しにされ、ペットロスに陥る土岐頼芸(ときよりのり)(尾美としのり)ね。「え、そこ!?」みたいな理由で戦意喪失。でも人間ってそんなもんよね。

 重低音の声が微妙に不安定、でも見事な策士っぷりで前半を牽引したモックン。そして、モックンの名言は現首相に贈る言葉でもある。トップが驚くほど無神経で悪質な日本。嘘と隠蔽で国民を欺き続けてきた罪は汚名として歴史に残るよね?

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビ番組はほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2020年6月18日号掲載

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