55日ぶり「外出制限解除」で浮上したマクロン政権の「不協和音」

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 フランスのロックダウン(都市封鎖)による外出制限が5月11日、3月17日以来55日ぶりに解除された。

 とはいっても、飲食店や映画館・劇場などは閉鎖のまま。100キロ以上の移動は原則禁止。午前6時半から9時半までと午後4時から7時の間は、雇用主が発行する出勤、退社時間を明記した通勤証明書がなければ公共交通機関には乗れない。不携帯は135ユーロ(約1万6000円)の罰金である。おそるおそるの解除だ。

 それも道理で、決して新型コロナウイルスの感染リスクがなくなったわけではない。

 感染症対策の定石は、

(1)国内への流入を抑える

(2)クラスター潰しで感染の速度を遅め、同時に医療を拡充する

(3)市中に蔓延しているので重症患者を中心に治療しつつ抑え込む

(4)再びクラスター潰しにもどり、感染の再蔓延を防ぐ

 という順である。

 新型コロナにはまだ特効薬やワクチンがないので、(3)は全員の隔離つまり外出制限・ロックダウンとなる。

 現在のフランスは、この段階を終えて(4)に入ったわけだ。(2)のときにもクラスター潰しは熱心に行われたが、さらに感染経路調査員を大幅に増員し、開業医とも連携する態勢がつくられている。5月20日現在で33のクラスターが確認されている。

 とはいえ、陽気もよくなってきて、街は少しずつ活気を取り戻してきている。昨年末から年明けにかけ、年金改革反対で地下鉄・バスのストがつづき、デモや集会で騒がしかったパリがまるで幻のようだ。

逆転した「信頼」と「不信」

 しかしながら、いま表面の平穏さの下で、不協和音が鳴り始めている。

「私たちは失望している。あなたを信じてはいない」

 外出制限解除から5日目の5月15日、パリのサルペトリエール病院を訪問したエマニュエル・マクロン大統領に看護師が言い放った。

 5月19日には、日本の衆議院にあたる国民議会でマクロン与党「共和国前進」(LREM)の議員7名が離党し、すでに離党していた議員達と合同で新会派「エコロジー・民主主義・連帯」(EDS)を結成した。

 3年前、大統領選挙の勝利の後の総選挙で、LREMは過半数(289)を大きく上回る314議席をとった。ところが、少しずつ離党者が出て現在はついに288議席となり、単独過半数を失ってしまっている。

 コロナ禍にあってマクロン大統領が2回にわたって総力戦、挙国一致をテレビで訴えたとき、フランスは一体となった。こういうときに一番うるさい極左政党「不服従のフランス」のジャン=リュック・メランション代表も「いまは論争をしている時ではない」と口を閉じ、極右「国民連合」のマリーヌ・ルペン代表も国境閉鎖に踏み切った政府に満足していた。各種世論調査でも、95%前後の国民が外出制限に賛成していた。

 外出制限が始まった翌日、3月18日の仏経済紙『レ・ゼコー』でセシル・コルニュデ論説員は、

〈何カ月もの権力への不信の後で、反逆の国民は(権力を)信じるだけでなく、従っている〉

 と書いた。

 また、同紙は外出制限が始まった1週間後の3月23日から毎日、正午現在の調査会社「OpinionWay」による世論調査結果を発表しているが、そのなかに、

「新型コロナ感染拡大阻止について政府を信頼しているか?」

 という問いがある。

 3月23日は「信頼している」が53%、「していない」が46%であった。

 ところが、外出制限を解除した5月11日の回答は、「信頼している」は41%しかなく、反対に「していない」は57%に増えた。

 5月28日時点で感染者数18万人を超え、死者も2万8500人を超えているが、そのこと自体が逆転の理由ではない。

 前述(2)の段階でのクラスター対策もうまくいっていたし、フランスには以前より天災に対するものと同様の伝染病危機に対応する計画が用意されており、医療の拡充もできた。新型コロナは予想外に感染力が強く悪性だったが、医療関係者の頑張りもあり、なんとか医療崩壊を免れた。

 世論調査逆転の原因は、マスクとPCR検査だった。

失敗を糊塗するための口実

〈フランス人は3月16日に外出制限が発表された当初は信頼していたが、政府がマスクについて嘘をついていたと確信した3月27日以降、もはや信頼しなくなった〉

 と『フィガロ』(5月7日)は指摘した。

 政府は、まだ(2)の段階にあった3月3日、医療関係者用のマスク備蓄在庫から2500万枚を放出。4日にはマスクを徴発し、医療関係者と感染者に配布した。すでに欧州ではイタリア発の感染拡大が始まっていたが、フランスではこの時点でまだ感染者191人、死者4人。敏感に素早く対応したようだった。

 だが、感染爆発でマスクはいっきになくなってしまった。

 すると、重大な事実が発覚した。

 2009年の「新型インフルエンザ(H1N1)」蔓延のころには、フランス政府には10億枚の一般向け「サージカルマスク」と医療関係者用の6億枚の「FFP2マスク」の在庫があった。それがいまは、サージカルマスクが1億5000万枚しかなく、FFP2にいたってはゼロだったのである。

 マスクの備蓄は2004年に策定された伝染病蔓延などへの対応計画で始まったのだが、実は2011年に方向転換し、在庫を更新しないことにしていたのだ。

 さらに追い打ちをかけるように、「マスクはいらない」と公式の場でくりかえされていたのに、外出制限のころから急に「マスクをしろ」と180度逆の指示を打ち出すようになった。

 理由は、新型コロナに対する知識の深化である。

 当初、新型コロナは接触感染だけが重視され、飛沫感染があっても一般用のサージカルマスクではウイルスは通ってしまうので意味はないとされていた。

 ところが、飛沫感染もまた重要であると見直された。

 そこで、ウイルス取り込み防止ではなく、感染者が飛沫をばらまくのを防ぐということに発想の転換がなされた。

 それにともない、以前は規格が厳格に推奨されていたが、とにかく口と鼻を覆えばいいということで、家庭での布製のマスクづくりが奨励された。

 新型コロナについての情報・知識は世界でも時々刻々と積み上げられ、変わっていった。1月時点では人から人への感染さえ疑問視されていたのである。

 しかし、そう説明をすればするほど、政府が自分の失敗を糊塗するための口実にしか聞こえなかった。

「金持ちのための外出制限解除」

 PCR検査については、受ける基準を「37.5℃以上の発熱が4日間続く」ではなく、「発熱または熱っぽい」で受診可能とやや広範囲にしていたが、日本同様に検査数が抑えられていた。批判があっても、検査のための混雑による感染のおそれがある、ソーシャルディスタンスや手洗いの励行としっかりしたクラスター対策で十分だと反論していた。

 だが、当初から大量に検査をしたドイツで同じように感染爆発があり、同じような感染者数があったにもかかわらず、死亡率が4分の1以下であるという事実がつきつけられた。

 批判の矛先は、当初は、検査までの手続きが煩雑だとか獣医学や大学の研究所が活用されていないといった役所仕事、縄張り主義などに向いていたが、その後、そもそも検査キットの準備が足りなかったからだということが明らかになった。

 外出制限解除直前、『フィガロ』と公営ラジオニュース『フランスアンフォ』が行った共同世論調査で、

「外出制限解除の成功について政府を信頼していますか」

 という質問をしている。

 結果は、先の『レ・ゼコー』の5月11日調査と同じようなものだった。「信頼している」は42%、「していない」が58%である。詳しく見ると、「完全に信頼できる」は7%にすぎないのに対し、「まったく信頼していない」は23%である。

 この調査は、5月5、6日に調査会社「ODOXA」が行ったものだが、その報告書によれば、

〈興味深いのは、外出制限解除の成功についての信頼度合いが、収入のレベルと相関していることである〉

 という。すなわち、高所得層は51%が「信頼している」と回答しているのに対し、平均所得層は41%、低所得者層は38%しかいなかった。報告書は、

〈まるで、フランス人にとって金持ちの大統領が「金持ちのための外出制限解除」を準備しているかのようだ〉

 と評している。

「下層」すべての不満

 燃料費の高騰、追い打ちをかける燃料税引き上げに対する抗議に端を発して2018年11月に勃発した「黄色いベスト運動」は、「下層」の「上層」に対する反抗だった。いわゆる格差問題だ。

 フランスでは、とくに大企業のプロ経営者やファイナンス関係者、エリート学校出身者、資産家が「上層」で、労働者や商店主、中小零細企業経営者などが「下層」である。

 マスクやPCR検査の不足が起きたのは、中国などから安く買えるのに国産にする必要はない、在庫を持つのは馬鹿げているという新自由主義的グローバリゼーションと効率主義からだった。これこそ「上層」のイデオロギーである。

 先に紹介した看護師の不満は、きつい勤務であるにもかかわらず、OECD(経済協力開発機構)33カ国中22位(日本は19位)で、国民の平均給与よりも低い給与待遇と、そこからくる看護師不足に対するものだった。

 政府は、感謝のしるしとして勲章と7月14日のシャンゼリゼ行進、バカンス・クーポン、そして1500ユーロ(約18万円)のボーナスを約束した。だが看護師たちは、「そんなお恵みはいらない」と反発する。

 こうした不満は、看護師にとどまらない。テレワークもできず命がけで現場の仕事をしなければならなかった労働者や、店を閉めなければならなかった「下層」すべてに共通する。

 マクロン大統領は、外出制限前のテレビ演説で力強く語っていた。

「(新型コロナ禍が終息した)明日には、私たちが現在経験している教訓を学び、私たちの世界がここ何十年間行ってきた発展モデルに疑問を投げかけ、欠陥を白日の下にさらし、私たちの民主主義の弱点について問わなければなりません」(3月12日)

 しかし「明日」には、また「昨日」までのフランスが覚醒するであろう。格差問題が横たわったままの社会構造が。

 念をおしておくが、現在、新型コロナとの闘いにおいて挙国一致に亀裂が入っているわけではない。むしろ、「アフターコロナ」の明日のフランス社会の胎動が始まったというべきだろう。

 第2次世界大戦のときには、ドゴール派と共産主義者が一枚岩となってナチスに対するレジスタンスを戦った。現状はそれと似ている。そしてその後どういう経過をたどったか、いま一度思い起こしておくべきかもしれない。

広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)、『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの―』(新潮選書)ほか。

Foresight 2020年5月29日掲載

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