河井克行・案里夫妻も必読 「田中角栄が教える正しい札束の配り方」

国内 政治 2020年5月5日掲載

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カネ配りは気配り

 関係者にカネを配ったことをバラされてしまったのが、自民党の河井克行前法相と妻の案里参院議員。額は最高で30万円だとか。他方、43年にも亘った議員生活において、バラ撒いた札束の総額は、1000億円とも言われる田中角栄。配り方にも哲学・流儀があったようで……。

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 自民党の河井案里議員が初当選した2019年7月の参院選。その選挙の最中、地元の県議、市議、後援会幹部のうち、10人程度が「夫の克行前法相から現金を渡された」と捜査当局に説明し、中には案里議員からも現金を受け取ったと証言した者もいるという。

 昨年の参院選で、党から河井陣営に配られた資金は1億5000万円。配る相手を懐柔する“実弾”のはずなのに、自分自身にブーメランのように戻ってきてしまった恰好だ。その点、カネを配りまくった角栄はどうだったのか。側近や関係者が明かす。(※『週刊新潮』別冊2016年8月23日号の記事 に加筆・修正をしました)

「オレが実際に運んだカネで、額が一番多かったのは1億円、田中内閣を作る時のことだった。オヤジに言われて5000万円を入れた紙袋を2つ、ある陣営の領袖の事務所に『陣中見舞い』っていう名目で、両手にぶら下げて持ってった。あれは結構、重たいもんだよ」

 と振り返るのは、かつて“田中派七奉行”の1人に数えられた渡部恒三元衆議院副議長(87)だ。

「それで、相手の事務所に着いたら、“田中からです”と言って渡したんだ。まあ、向こうも心得たもので、“はい、どうも”で終わり。こういう時はムダ話はしないもんなんだ」

 1972年7月、田中角栄は総裁選挙で福田赳夫を破って総裁に就任し、その後に国会で首班指名を受け、総理大臣に選出された。渡部氏が“密使”を務めたのは、ちょうどこの直前の時期だ。

 死から20年以上を経た今もなお、今太閤と親しまれ、闇将軍と唾棄された角栄には、現代に生きる人たちが範とすべき点が少なくない。それは、かつて世間の強い批判にさらされた、札束の配り方においても例外ではない。せっかく現ナマを配っても、相手にそれを暴露されているようでは元も子もない。

 角栄の議員生活は43年にも亘った。その間、バラ撒いた札束の総額は、1000億円とも言われている。カネを配る際に、角栄が大事にしたのは気配りでもあった。

 角栄が2度の幹事長を務めた時期を含め、30年以上、自民党幹事長室を務めた奥島貞雄氏(享年80)によると、

「200万円から300万円の札束をつつむ時には、角さん流の工夫がありました。模造紙などで丁寧に包み、最後にセロテープで留めて完成ですが、角さんは仕上げとばかりに8カ所の尖った角をテーブルでトントンと叩いて潰すんです。理由を尋ねると、“こうするとスーツのポケットにしまう時に角が引っ掛からず出し入れしやすいんだ”と得意げに話してくれました」

福田派との決定的な違い

 使いの者が札束を渡すときの言葉遣いや物腰にも徹底的に気を遣っていた。先の渡部氏は、こう明かす。

「オヤジは“間違ってもくれてやるというような態度は見せるな。カネというのは受け取る方が一番辛いし、切ないんだ”と繰り返し言っていた。だからオレはいつも“オヤジのカネを受け取ってくれてありがとう”っていう気持ちで渡していたよ」

 今度は、実際に角栄からカネを受け取った経験を持つライバル・福田派の元代議士秘書は、こう話す。

「角さんがロッキード事件で逮捕されてから4度目となる総選挙(1983年12月)を控え、私は福田派の事務所に選挙資金を受け取りに行きました。すると、電話中だった福田(赳夫)先生の秘書は私を一瞥するだけで電話を切ろうともせず、“ほれ、持ってけ”と言わんばかりに片手で茶封筒を突き出してきた。封筒には100万円が入っていましたが、あの時は“ふざけるなこの野郎!”と本当に腹が立ちました」

 角栄の事務所の対応は対照的だった。

「人づてに角さんに資金パーティーへの出席をお願いすると、すぐに秘書が挨拶に見えました。“この度はおめでとうございます”と頭を下げ、50万円が入ったのし袋まで持参してくれました。そのうえ、“ウチのオヤジは何を喋れば良いでしょうか。先生はどんなことを話してほしいとお考えでしょうか”と、細かくこちらの要望を聞いてくれたのです」

「福田先生は派閥のボスではありますが、カネの渡し方はまるで施しでもするようでした。ところが角さんは、わざわざ秘書を出向かせたうえ、スピーチの内容まで気にかけてくれました。頂いた額こそ福田先生の半分でしたが、ありがたみは何十倍にも感じましたね」

角さんのカネは負担にならない

 角栄はまた、派閥や政党にこだわらず、札束を配りまくっていた。今とは違って、同じ党の同僚と言っても、決して味方とは言い切れない。ましてや、角栄が生きた時代は「三角大福中」と、角栄率いる田中派をはじめ、三木派、大平派、福田派、中曽根派などの各派閥が死闘を繰り広げていた時代である。

 35年ほど前に角栄の番記者を務めていた新潟日報社の小田敏三社長(69) は、次のようにその意図を推し測る。

「角さんは常々“味方は2人でいい。広大なる中間地帯を作れ。敵は1人でも少なくしろ”と言っていました。その意味は“人は何かコトを為そうとする時ほど、味方を増やそうとする。しかし、そういう奴に限って敵も増やす”というものです。日頃から、少しでも自分に好意を持つ中間層を増やしておくことが大事だと言いたかったのでしょう。与野党を問わずカネを介した“お付き合い”をしたのは、そういう意識があったからではないでしょうか」

 カネを配ったことを暴露されてしまった河井夫妻と角栄。その差はどこにあるのか。政治評論家の小林吉弥氏は、こう指摘する。

「政界では、“角さんのカネは負担にならない”と評判でした。とにかく角さんは口が堅く、札束を渡した相手については一度も口外することがなかったから。カネのやりとりは当事者双方が黙っている限り、外に漏れることはありません。国会議員はことさらに評判や外聞を気にする人気商売。角さんは、そういう議員の心理を熟知していたのです」

 ロッキード事件で司直の手に落ちた角栄。目下、司直の手が伸びる河井夫妻。札束の配り方にも良し悪しがあることを教えてくれるようだ。

週刊新潮WEB取材班