【新型コロナ】重篤な肺炎でも放置された男性の告白 「保健所への恨みは消えません」

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5万円払えますか?

 だが、担当者はあいも変わらず検査に後ろ向きな発言を繰り返したという。

「『PCR検査を受けるには、病院に行ってCT検査を受けて肺炎と診断されなければいけません。CT検査を受けて、もしコロナでなかった場合、実費の5万円かかってしまいますが大丈夫ですか』と、言われました。こっちは死ぬかもしれないと思っているのに、お金の話をするなんておかしくありませんか。じゃあ、お金に困窮している人はどうすればよいのでしょうか。幸い私は金銭的には余裕があるので、5万円くらいなんとでもなります。実費でも構いませんと答えました」

 ちょうどその頃、別府さんの周囲でも変化が起きていた。別府さんが3月上旬に、食事をしていた友人の一人が陽性と診断されていたのだ。

「その人の名前を出して、確認してもらってから、ようやく話が前に進み始めました。連日のように電話し続けていたので、何度目の電話だったかはもはや覚えていません。保健所から指定された病院に行けたのは、4月7日のこと。発症してからすでに17日も経っていました。CTを撮ると、やはり肺に影があって、肺炎と診断。かかった費用は、結局、保険が適用されて約7000円でした。ただ、そこからすぐPCR検査をしてもらったわけではありません。一度家に帰され、病院から保健所に連絡が行き、保健所から翌日、指定する検査場に来るように言われてようやく検査なんです。こんな感じですべてが緩慢でした。結局、検査結果の郵便が届いたのも10日のことでした」

 画像の診断書をご覧いただきたい。疫病名は「新型コロナウイルス感染症」。問題は下段の症状の記述だ。「咳、重篤な肺炎」とある。別府さんが咳き込むようになったのは4月初めである。そこから重篤な症状に悪化するまでの間、適切な医療を受けられないまま10日も放置されたことになる。

入院はできません

 これなら、即入院となると誰もが思うであろう。だが、事はそうは進まないのだ。

「担当者からは、今度も『いまは優先すべき重傷者が多くて病院のベッドに空きがありません。自宅で療養を続けてください』と言われました。もう、耳を疑いましたね。『ちょっと待ってください。重篤な肺炎と書いてあるじゃないですか。しかも、私には糖尿病という持病もあるんですよ』。けど、いくら訴えても、覆ることはありませんでした。保健所の人は電話の様子から、軽症と判断しているんです。確かにその頃、咳は一時期に比べて落ち着いていました。しかし、ほかに胸の痛みも出てきました。おそらく、激しく咳をし続けた影響だと思いますが、それだって、素人の私が勝手に思っていることです。自分の体がいまどういう状態で、どうなっていくかなんて患者本人に、保健所の人にもわかるわけないじゃないですか。でも、電話で何度入院させて欲しいと訴えても、“耐えてください“と言われるだけでした」

 別府さんはマンションに独り暮らしだった。家族は地方にいる。

 4月10日の時点では、軽症者は自宅か都が借り上げた宿泊施設のいずれかで隔離する方針だったが、保健所は自宅を強く勧めてきたという。

「ホテルは自宅と変わらないと言うんです。『ホテルには医療設備があるわけではなく、看護師が詰めていて毎日体温を測るだけ。むしろ自由がきかないから別府さんのように家族と同居していない場合は、自宅の方がいいと思いますよ』と。そう言われると、自宅の方がいいと誰だって思いますよね。ただ、独りだと、病状が急変した時にどうすればよいかという不安がありました。保健所からは、いざという時、救急車を呼ぶための緊急連絡先を教えられましたが、咳で呼吸困難になって自力で電話できない状況になる可能性だってあるでしょう。家族には朝9時と夕方4時、そして寝る前の1日3回、電話をかけてもらうよう頼みました。もし自分と連絡が取れなくなったら119番してほしい、と。不用心だとは思いますが、救急隊員が駆けつけた時のために玄関のドアは開けっ放しにしておきました」

埼玉の男性が死んだ

 自宅隔離生活が始まってから2週間。4月22日、別府さんの不安が的中するニュースが流れた。埼玉県で、別府さんと同じように自宅療養中だった50代の感染者が、容体が急変し、死亡していたことが明らかになったのだ。

 翌日、加藤勝信厚労相は、これまで自宅療養していた感染者を宿泊施設に移す方針に切り替えると発表。すると、保健所の対応が一変したという。

「陽性が出てからは、保健所から1日1、2回、容体を聞かれる電話が入ります。ニュースが流れたあとの週明けの27日の連絡の際、急に『宿泊施設が空き次第、ご案内しますがどうしますか』と言ってきたのです。正直言って、カチンときましたね。死亡例が出たとか、方針が変わったとか何の説明もないんです。『いままではそっちが自宅も宿泊施設も変わらないと言っていたじゃないか』と言い返しましたが、担当者からは、はぐらかされるだけでした」

 もっとも別府さんの場合、すでに陽性が出てから2週間以上が経過した段階である。咳もおさまりつつあった。完治を目前にして、いまさら隔離施設に入るのも悩ましいところだ。

「結局、ホテルに移る話は立ち消えになりました。そのかわり、先に病院に行って病状を
診てもらってくるように言われました。それで肺炎が治っていると判断されたら、PCRの再検査になる予定です。検査にはぶれがあるようで、一度の陰性結果だけではダメと言われています。日をおいて再検査し、続けて陰性が出たら合格。晴れて隔離生活から“卒業”となります」

 結局、別府さんが飲んだのは、病院から処方された咳止めのみだ。保健所からは、解熱剤は危険なのでの飲まない方がいい、と言われていたためである。入院もせず、咳止めだけでここまで回復したことは非常に幸運だったというべきか。

 最後に、1カ月の闘病生活をこう振り返った。

「いま、未曾有の事態が起きていることはわかっています。医療従事者の方々が自分を犠牲にして頑張ってくれているということも。保健所の人も、ろくに休みも取れず一生懸命やってくれているのでしょう。でも、重篤な肺炎なのに放置された恨みが消えることはありません。身勝手な憤りなのかもしれませんが、私は命の危機に瀕していたんです。助けて欲しいと、ずっと叫び続けていた。その声は聞こえていたはずなのに届かなかった。これは紛れもない事実なんです」

 病気になったら、病院に行って医者に診てもらう。別府さんの話から見えてくるのは、私たちがこれまで当たり前のように頼ってきた医療体制が崩れ始めているという現実ではないか。

週刊新潮WEB取材班

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