あざといほどベタな「M 愛すべき人がいて」 視聴者参加を促す「未完成」の成功法則

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コロナ鬱の孤独を救う、視聴者参加で初めて完成するドラマ

 一方で、「三浦翔平はなぜこんな仕事を受けたのか」「高嶋政伸や高橋克典ら、ちゃんとした役者のムダづかい」といった声もあった。それほど違和感というか、B級感に満ちていたのは確かである。というか、あえてB級の仕立てに徹していた。視聴率や見映えより、SNSウケを重視して作ったに違いない。

 成功と虚飾を表す、夜の東京タワー。一生懸命走っても肝心なところで転ぶヒロイン。悔しさのあまり爪を噛む恋のライバル。どしゃぶりの雨のなか感情に任せて叫ぶマサの姿で予告編は終わった。もう、ベタなドラマあるあるの嵐だ。キャラ含めて、ツッコミどころはここですよと、あざといほどの目配せがふんだんにある。でもそれだけわかりやすいからこそ、一言物申したい視聴者は増えると踏んでいたのだろう。裏を返せば視聴者があれこれ言うことで、初めて完成するドラマを目指したとも言えないだろうか。

 不安を抱え、自粛生活を送る毎日。募る人恋しさを、誰かと分かち合いたい。会わずに誰かとつながれる話題が欲しい。そんな空気はふくらんでいた。そこに飛び込んだのが、ワイワイとSNS上でツッコめる「未完成」のドラマだったのだ。不謹慎な言い方だが、コロナ禍という機運もあってこそ、これだけ盛り上がったのだろう。

 奇しくも劇中では、「5万人の心を揺さぶろうなんて思うな、まずは目の前の一人の心を動かせ」とマサに語らせている。テレビの前の孤独な一人を動かし、社会現象へ。星野源による「#うちで踊ろう」が話題となったが、これもまた、さながら「#うちでツッコもう」と名付けるようなコンテンツなのかもしれない。一人一人「家」で、そしてSNSや自分の「内」側で、柔らかにつながる親しみと笑い。果たしてどこまでいくだろう。渾身の自伝的小説が、コントばりのドタバタ劇にされてしまったあゆだけは笑えないのかもしれないが。

(冨士海ネコ)

2020年4月24日掲載

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