人を殺すのはウイルスでも放射能でもない 恐怖心の連鎖が悲劇を呼ぶ

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 SNSで原料不足が取り沙汰され、店頭からマスクやトイレットペーパーが消えていく。安倍晋三内閣が新型コロナウイルス危機を「歴史的緊急事態」と認める中で、根拠のないネガティブなデマも感染拡大を続けるのはなぜだろうか。

 少し考えれば根拠ナシとわかりそうなフェイクニュースが、私たちの判断力を容易く奪う。そんな事態を、つい9年前も日本社会は経験した。東日本大震災時の福島第一原発事故、その放射能汚染をめぐる騒動だ。

 2020年3月11日午前零時に予告された核テロ、爆心地は新国立競技場――。緊急事態宣言下の東京を描いたサスペンス小説『ワン・モア・ヌーク』の著者・藤井太洋氏は、「未曾有の事態に直面した時、何より必要なのは正確な情報とリスク評価」だと語る。

 まさに今、ここにある危機を小説家の想像力でリアルにとらえる物語となった本作は、福島第一原発事故をきっかけに社会を覆った恐怖心の連鎖を描き出している。新型コロナを巡って連日ワイドショーでは“素人感覚”を持ったコメンテーターがもっともらしく対策を議論している。物語のなかでも原子力や放射線の専門家でもない学者が「福島の農家は殺人者だ。福島に住むことを選んだ親は、人殺しと同じだ」と吹聴し、ネットで拡散された言葉が住民の不安を煽る様子が描かれる。さらに本来ならば心配が必要ないことを示すデータは、恐怖を煽るためにねじ曲げられ、癌の発症例が増える証拠が見つからないほど低い数値に定められた被曝線量の「避難勧告基準」が、避難した人々への差別につながってしまう。

 こうしたなかである女性が「いくら安全だって言われても、怖いの」と自らの命を絶ち、その親友を“政府に安全の意味を説明させるためのテロ”という歪んだ決断に走らせる――。これはあくまで小説のなかで起きる出来事だが、似たような状況は2011年も今も起こっている。

 やっかいなことに新型コロナの感染も放射能汚染も、どれほどリスクが低くても、それをゼロと言い切ることができるほどの確証が我々庶民にはない。デマの背景には、「役立つ情報を共有しよう」というある種の正義感や善意があることも事実だろう。

 だからこそ、届きにくい「データベース的な正義」に血を通わせることが大切だと藤井氏は言う。スポーツジムやビュッフェスタイルの会食など、感染拡大リスクが高い場所を特定するなら“正しく怖れる”ためのデータも欠かせない。

 藤井氏は福島第一原発事故の際、放射能を霊魂か何かのように怖れる世の中への違和感を覚え小説家を志したという。問題は放射能やウイルスそのものではないのかもしれない。「姿が見えないものへの恐怖によって人が死ぬことだってあるんです」(藤井氏)

デイリー新潮編集部

2020年3月11日掲載

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