新型コロナで春の選抜高校野球、今年のプロ野球はどうなる?【柴田勲のセブンアイズ】

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 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、今年のセンバツ高校野球大会が春夏通じて初の「無観客」で開催される方針が決まった。

 日本高野連の決定だが、最終的なものではない。今後の感染予防策、国内の感染状況、さらに政府の対応などを総合的に判断して11日に開催の可否を協議するという。

 つまり、大会史上初となる中止の可能性があるということだ。

 国民的な春の行事には決行、中止、あるいは無観客だろうと、万人から一つの答えを導き出すことはできない。

 さまざまな意見があるだろう。あって当然だ。私は「無観客で構わない。センバツは絶対にやるべきだ」と言いたい。

 確かに選手の甲子園までの移動や宿舎での感染リスクがあるし、ロッカーやベンチでは濃厚接触する。声を出せばツバが飛ぶこともあろう。

 でも、私は神経質になり過ぎというか過剰反応ではないかと首を傾げている。

 背景には政府のイベント自粛要請がある。実際、プロ野球のオープン戦は無観客試合だし、スポーツ、文化的なイベントにも大きな影響が出ている。

 だけど現実には世の中のサラリーマンたちは満員の電車に乗って通勤している。あれも自粛、これも自粛なんて言っていたら、なにもできない。私自身もパーティ、ゴルフコンペなどが取りやめになって、このままでは引き籠りになってしまいそうだ。経済的にも大打撃だ。

 いまは80年どころか、「人生100年時代」。その人生の中で16歳から18歳くらいが一番元気な時だ。私も覚えがあるが、多少無茶をやって疲れても、一晩寝ればケロっとしたものだ。それだけ免疫力も他の年代に比べて強いはずだ。

 青空の下、甲子園である。密閉されたドーム球場ではない。防止対策をしっかりと取れば、感染のリスクは低いと思う。無観客でもいい。極論かもしれないが、プレーする選手たちには観客がいるか、いないかは関係ない。

 同級生たちが家路を急ぐのを横目に必死で練習に打ち込んできた。青春をかけて何年間もやってきた成果を試したい。勝ちたい。思い切り伸び伸びとプレーしたい。これだけだろう。

 子供たちのプレーを楽しみにしていた親御さんや応援団、ブラスバンド、周囲の関係者の存在もあるが、あくまで主役は選手だ。

 私自身、高校時代(法政二高)時代から神奈川大会での観客の入りや応援団のことを気にしたことが一度もない。あくまで付随してくる存在と見ていた。

 こんな状況だ。周囲の関係者は理解できるのではないか。

 高校スポーツの全国的な大会が中止・延期になっている。私は他の高校スポーツだって無観客でやれるのであれば、やるべきだと思っていた。

 でも、高校野球とは違って実現には多くの壁がある。公共施設を使うし、先生方が競技役員で、運営には学校関係者、生徒が中心になるケースが多い。

 とは言え、高校野球と同じで選手たちはその日を目指して練習に励んできた。無観客でもいい。壁を乗り越えて、なんとかやらせてあげたかった。

 さて3月20日に開幕予定のプロ野球だ。センバツ開幕は19日予定で、11日には出る高野連の最終決定がなんらかの影響を及ぼす可能性がある。

 ご存じの通り、オープン戦は無観客試合で各球団は相当気を遣っている。だが、相手はウイルスだ。

 試合のために全国を飛行機、電車、バスなどで移動している。遠征先では基本は外出禁止でホテルに缶詰め状態だ。報道陣もマスクが義務付けられて検温を実施する球団もある。選手の取材にも一定の距離をお願いしている球団があるという。

 プロ野球界から感染者を出したくない。この一心からだ。大相撲は感染者が1人でも出たら中止の方向だ。

 しかし、選手がいくら気を付けていても、相手はどこから忍び寄ってくるか分からない。球場や遠征先で大丈夫でも、家族の誰かが感染していたら即感染の可能性がある。

 あるチームに感染した選手が出たら、最近対戦した相手ームの選手も検査を受けることになるだろう。

 球団幹部たちやトレーナーら医療部門を担当する人たちは毎日必死だろう。

 開幕まであと2週間か。これから事態がどう転んでいくか予断を許さない。

 現にJリーグは18日のリーグ再開を目指していたが、4月3日に再開するプランが浮上しているという。

 3・20開幕を目指すプロ野球界だが、延期も視野に入っているのではないか。

 もし、無観客試合で開催したら各球団は大打撃だ。球場使用料、選手やスタッフのコストがかかっても入場料収入はない。グッズの売り上げもない。テレビ放映権だけではとてももたない。

 すでにオープン戦の無観客試合で大きな痛手をこうむっている。

 プロ野球界から感染者が1人も出ないことを願いたい。19日、甲子園での高校球児のプレー、そして翌20日にコロナ禍を吹き飛ばす大歓声が聞きたい。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年3月9日掲載

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