【特別対談】「三菱電機」「ソフトバンク」が突きつけた「スパイ天国」日本の脆弱性(下)

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小泉悠 『世界のスパイから喰いモノにされる日本』(講談社)では、中国人民解放軍のサイバー攻撃部隊が「9時-5時」で働いていることが紹介されています。これは意外でした!

山田敏弘 会社員みたいですよね(笑)。彼らは旧正月になると休むので、その時期はサイバー攻撃が一気に減ります。重要な人材なので大事にされているのでしょう。

 ちなみに北朝鮮では、全国から若者を青田買いして、平壌に80坪ほどの一軒家を与えたりしているそうです。彼らは自由にインターネットにアクセスできる。それは北朝鮮ではものすごい特権です。

小泉 イギリスのMI6(秘密情報部)では、スパイ(エージェント)は結婚もしてはいけないし、決まった恋人もつくってはいけないのですか。

山田 MI6には現在、2500人以上が勤務していますが、マネジメントポジションのスパイは50人以下しかいません。彼らは「007」「008」「009」といった形でランク付けされており、最高位が「009」。映画でお馴染みの「007」は上から3番目で、「009」のランクのスパイは最も数が少ないと言います。

 彼らは誰とも個人的な関係を持ってはいけないので、結婚もダメ、子供もダメ、特定の恋人もダメ。ただルールブックや規則に書かれているわけではなく、それが長く共通認識になっている。誰も信用しない「ゼロトラスト」が基本原則。それでも普通に生活しているそうです。

 MI6が閉鎖的なのに対し、CIA(米中央情報局)はオープンで、家族にも自分の身分を明かしますし、OB会も頻繁に開く。日本でもCIAなど元情報機関関係者のネットワークがあり、たまに集まっていますよ。

国の成り立ちが見えるインテリジェンス

小泉 ロシアでもKGB(ソ連国家保安委員会)のOB会が開かれるのですが、これには遅刻魔のウラジーミル・プーチン大統領も絶対に遅刻しないそうです(笑)。

山田 ロシアには、旧KGB系の「対外情報庁(SVR)」と軍参謀本部の中にある「偵察総局(GRU)」と2つの系統がありますが、ロシアの国民は諜報機関というものをどう見ているのでしょうか。

小泉 KGBの源流はレーニンが作った「非常委員会(ChK)」で、ヨシフ・スターリン時代にはこれが「内務人民委員部(NKVD)」になった。NKVDはスパイ機関であると同時に国内取り締まり機関でもありましたが、何よりもスターリンの大粛清の先鋒でした。

 ロシア国民の中には、NKVDに端を発する情報治安機関が恐ろしい抑圧の記憶と結びついている部分がものすごくあると思います。

 モスクワのクレムリンのすぐそば、ルビヤンカ広場にあるFSB(連邦保安庁)本部の前に、大粛清で殺された人の名前が彫られた石碑が建っています。いろいろな節目に「NKVDによる抑圧を忘れるな」という催しが開かれるのですが、プーチン大統領の庇護を得て大きな顔をしているFSBといえども、その像を撤去することはできません。

 ロシアの歴史は秘密警察の歴史です。広大な範囲を力で押さえつけて統治しているというスタイル上、国内を監視する情報機関というものが権力と表裏一体に存在してきました。

 対外情報活動も、当初は革命時に外国へ逃げた白軍(反革命派)を偵察するためのものでした。世界中でスパイ活動がはじめられるようになるのは20世紀、それもソ連が成立して安定した1920年代以降だと思います。

 そういう伝統からすると、ロシアの権力者とか国民意識の中に、良くも悪くも情報機関が深く根付いていると言えるでしょう。

山田 インテリジェンスからはそれぞれの国の成り立ちが見えてきます。

イスラエルのモサド(諜報特務庁)は、対外的な脅威を把握するための集団が自然発生的に生まれ、そこから発展したと言います。

 では日本の場合はどうかというと、MI6やCIAのカウンターパートとされる総理直轄の内閣情報調査室(内調)、警察庁の公安部門、法務省外局の公安調査庁(公調)、防衛省の情報本部、さらに外務省などが情報活動を行っていますが、対外的な諜報機関はありません。

 彼らは「情報はCIAやMI6からもらっている」と言いますが、当のCIAやMI6 の人たちに聞くと、「自分たちの利益になる情報しか日本には渡さない」と言う。

 国民が承認した税金で、国民の生命財産を守るために命をかけて集めた情報を、同盟国だからと言って簡単に他国に渡すわけがありません。また、諜報機関の間で、情報はギブアンドテイクが鉄則。貴重な情報を国外からもらっているなら、どんな情報を日本は「ギブ」しているのだろうかと考えてしまいます。

ロシア人の恋人が防衛庁で編み物

小泉 日本人がここまでインテリジェンスに気を使わなくても平穏無事に暮らしてこられたのは、幸いなことだと思います。

 ロシアやイスラエルのように、強力なインテリジェンスをやっていないと国が滅びるかもしれないという緊張感の元で暮らすのは、あまり幸せなことではありません。

 平和ボケと言われるかもしれませんが、いいじゃないですか。ただ、度が過ぎると国を脅かす恐れがあるのも確かです。

 僕の知り合いで冷戦時代に防衛庁に勤めていた人がいるのですが、彼は防衛庁職員でありながら、ロシア人の恋人がいた。今は結婚していますが、彼女は当時、防衛庁内で編み物をしながら、彼の仕事が終わるのを待っていたそうなのです。守衛さんもすっかり顔馴染みで、「何々さんの彼女さん、どうぞ、どうぞ」と言って入れてくれたらしい。たまたま彼女が悪意のないロシア人だったのでよかったものの、冷戦時代ですよ(笑)。

 2010年にアメリカで摘発されたアンナ・チャップマンや、最近摘発されたマリア・ブティナといった女スパイは、そうやって食い込んで行ったわけですから、ハニー・トラップを仕掛けてくることだってあるのだということを分かっておかなければなりません。

山田 日本に本格的な情報活動の体制が整わない1つの原因は、セクショナリズムでしょうね。情報活動を行っている内調や公安、公調といった機関同士の横のつながりがあまりありません。

「国家安全保障会議(日本版NSC)」では外務省と警察庁の主導権争いが起きていますし、2015年に発足した「内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)」でも、立ち上げに関わった人によると、防衛省や警察庁、経済産業省や総務省が絡んできて、誰がトップを務めるかでかなり揉めたそうです。

 NISCに関して言えば、セキュリティ関係の専門家からの評価は散々で、僕が「日本の司令塔ですから」と言うと、「あんなものは司令塔じゃない!」と言われます(笑)。

日本のエリント・シギント能力

小泉 日本独自の対外インテリジェンスが育つには、かなりの時間がかかるとすると、我々はまだしばらくの間、CIAやMI6から対等に扱ってもらえません。

 では、どのようにして我々は彼らに対してプレゼンスを主張していくのか。

 それはおそらく世界の3大懸念国である中国、ロシア、北朝鮮に接しているという地の利を活かしたシギント(通信、電磁波、信号などの傍受)やエリント(電磁波傍受)、あるいは日本国内にいるこの国の人たちの情報ですよね。その辺で勝負していくしかないと思いますし、現状もおそらくそれで勝負しているのでしょう。

山田 日本の能力はどれほどと見ていますか。

小泉 日本は、北は北海道・根室から南は沖縄・宮古島まで大きな電波傍受拠点を置けていて、シギント能力、中でもエリント能力は相当なものと考えていいと思います。

 実際、1983年に大韓航空機がソ連に撃墜された際、ソ連の戦闘機の交信記録を全部取っていたのは自衛隊でした。

 そう考えると、日本は、基礎的なインテリジェンスはできているのではないかと思います。オープンソースのインテリジェンスは公安調査庁や防衛省情報本部がやっていて、これにエリント、シギントがある。国内では諸外国のスパイの行動確認もできている。

 ただ、民間企業や大学の穴を塞ぐ、外国で独自のインテリジェンスを展開するという課題が残っている。

 まるっきり落第ではなくて、通信簿で言うと、「頑張りましょう」という項目がいくつかあるというイメージでしょうか。

グローバルプレイヤーと日本の違い

山田 海外のインテリジェンス関係者に話を聞くと、日本人は情報を集めたり、整頓したりするのは得意だと言います。

 ただ、データをインテリジェンスに磨き上げるとなると、まだまだ。セクショナリズムによって情報が共有できないというのもありますが、そもそも実体験としてインテリジェンスの必要性を感じていないので、そこから政策に昇華していくということができない。

 たとえばアメリカの情報機関は、世界で何かが起きた時に、即座にその背景や経緯について大統領に説明し、大統領がどういう方向に進むべきかを判断できるような情報を日々集めています。

 日本もそうあるべきだと思いますが、海外のことがどこまでビジョンの中に入っているか。

小泉 インテリジェンスというのは、最終的なユーザーである為政者から情報要求が下りてきて、当局がインテリジェンスを行って情報を上げる、というサイクルです。

 つまり、為政者にインテリジェンスを活用しようという気がないと、インテリジェンス機関に対する期待もあまり大きくならないし、ここぞという時に必要なインテリジェンスが上がってくるという信頼がないと、それもまたインテリジェンス機関に対する期待値を下げてしまう。日本では、そういう負の循環が発生しているのかもしれません。

 ただ、国際秩序をつくろうとか奪い取ろうとかしている国と、基本的にアメリカの秩序の中で生きようと思っている国とでは、やることは当然、変わってきます。

 アメリカやイギリス、かつてのソ連はグローバルプレイヤーなので、世界中で起こることに関して深いインテリジェンスとインサイトの両方が必要ですが、日本はそうではありません。

アメリカに反論できるだけの情報がない

山田 インテリジェンスをどう使うかということで言えば、ファーウェイの件もそうですよね。 

 日本はアメリカから「排除しろ」と言われたら、従わない選択肢はありません。反論できるだけのインテリジェンスを持ち合わせていないからです。でも、それによって民間企業に多大な損失を出している。日本が排除を決めた2018年、ファーウェイは日本のGDPに約7660億円も貢献し、4.6万人以上の雇用を支えていたのです。それが失われるのです。

 自分たちのインテリジェンスがあれば、それに基づいて、ここまでは従うけれど、ここからは従えないと言うことができる。自分たちの国の利益を守ることができる。

 イギリスはそれができます。彼らは、国内で国民を監視するために中国の機械を入れていた過去があるくらいなので、ファーウェイの危険性を十分に分かっています。それでもファーウェイ機器の参入を一部認めたのは、それだけ中国が貿易相手国として重要だからです。

 その点では、日本の場合はインテリジェンスを使い切れていないが故に自国の利益を守れていない、と言えるかと思います。

小泉 本書で共感したのは、MI6の元スパイに“日本の情報機関は優秀だけど、仕事でやっているよね”と言われているところです。

 僕も外務省の国際情報統括官組織で専門分析員を務めていましたが、確かにそういうところがありました。

 レポートは役所の文書という感じでしたし、机の上でできる仕事と、人を介したヒューミントとエリントやシギントを総合的に組み合わせ、外務省として突っ込んだインテリジェンスを上げているかと言うと、そうは見えませんでした。

東京五輪の危険性

山田 自民党のサイバーセキュリティ対策本部は2019年5月、対策を一元化するために「サイバーセキュリティ庁」の新設を柱とする提言をまとめましたが、当時の高市早苗本部長は今、総務大臣です。どこかの省が主導すると、また省庁間の対立に発展しかねないので、ぜひ安倍晋三総理のトップダウンで進めて欲しいですね。

小泉 サイバーセキュリティはもはや、どこかの省に限ってできる問題ではないじゃないですか。我々の生活すべてがインターネットと結びついている今、全方位的に取り組まないとダメ。

 そういう意味でサイバーセキュリティ庁はいいアイディアだと思いますが、オリンピック担当大臣にサイバーセキュリティ担当大臣を兼務させるのはよく分かりません。オリンピックが終わったら、もういいんかい!という。

 とはいえ、今回の五輪はロシアがドーピング問題で出場できず、面白くなく思っているので、報復のようなものはあるかもしれません。

 ロシアはサイバー空間を、情報を流す1つのチャンネルに過ぎないと思っていて、常に「情報安全保障」という言い方をします。サイバー空間でどういう情報が流れるのか流れないのかということを、コントロールしたい。サイバー攻撃に限らず、いろいろな情報戦を仕掛けてくるでしょう。

山田 ロシアの情報戦は、まさに2016年の米大統領選で起きたことですよね。フェイクニュースも含めていろいろな情報をばらまく。

 サイバー攻撃で言うと、平昌五輪にもドーピング問題で参加できなかったロシアが報復として行ったのは、チケットサイトへの攻撃でした。そこが入り口になり、チケットがプリントアウトできないとか、開会式のゲートが開かないということが起きた。

 東京五輪でも同様のことが起きても不思議ではありません。というのも、平昌五輪のチケットサイトをつくった会社が、東京五輪のチケットサイトにも関わっているからです。

 他方、中国が攻撃を仕掛けてくる可能性も十分にあります。彼らの戦いは長期戦。たとえば、三菱電機と同じようなことが他の企業や軍事産業でも起きたりすると、じわじわと日本の信用が低下しますよね。それが日本の経済を疲弊させることにつながる。

 今日、明日、1年後、2年後という話ではなく、長い目でみて日本の信用を失わせるようなことをするのが中国。東京五輪は彼らにとっては格好の舞台です。(了)

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山田敏弘
国際ジャーナリスト、ノンフィクション作家、翻訳家。1974年生まれ。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などを経て、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のフルブライト研究員として国際情勢やサイバー安全保障の研究・取材活動に従事。帰国後の2016年からフリーとして、国際情勢全般、サイバー安全保障、テロリズム、米政治・外交・カルチャーなどについて取材し、連載など多数。テレビやラジオでも解説を行う。訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)、『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文芸春秋)など多数ある。

小泉悠
1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。民間企業勤務を経て、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員として2009年~2011年ロシアに滞在。公益財団法人「未来工学研究所」で客員研究員を務めたのち、2019年3月から東京大学先端科学技術研究センター特任助教。専門はロシアの軍事・安全保障。主著に『軍事大国ロシア 新たな世界戦略と行動原理』(作品社)、『プーチンの国家戦略 岐路に立つ「強国」ロシア』(東京堂出版)。ロシア専門家としてメディア出演多数。

Foresight 2020年3月4日掲載

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