実は日本野球のルーツは「南北戦争」にあった 米軍人との不思議な縁

  • ブックマーク

Advertisement

にっぽん野球事始――清水一利(2)

 現在、野球は日本でもっとも人気があり、もっとも盛んに行われているスポーツだ。上はプロ野球から下は小学生の草野球まで、さらには女子野球もあり、まさに老若男女、誰からも愛されているスポーツとなっている。それが野球である。21世紀のいま、野球こそが相撲や柔道に代わる日本の国技となったといっても決して過言ではないだろう。そんな野球は、いつどのようにして日本に伝わり、どんな道をたどっていまに至る進化を遂げてきたのだろうか? この連載では、明治以来からの“野球の進化”の歩みを紐解きながら、話を進めていく。今回は第二回目だ。

 ***

 野球というスポーツの成り立ちを考えるうえで、どうしても見逃せない重要なことがある。それはアメリカにおける野球と南北戦争との関連だ。南北戦争は奴隷制を否定する北部23州と奴隷制を肯定する南部11州との間で、1861(文久元)年から1865(慶応元)年まで行われたアメリカ国内の、いわゆる内戦であるが、野球が誕生した1830年代、ニューヨークのごく一部でしか行われていなかったローカルなスポーツ・野球がアメリカ全土に広まっていったのは、ひとえにこの南北戦争にあった。

 というのは、兵士たちの中にはすでに南北戦争の前から野球を楽しんでいた者がいて、彼らの指導のもと、北軍の兵士も南軍の兵士も戦いの合間のレクレーションとして野球に興じていたからである。当時の兵士たちにとって、体を動かして楽しめるようなスポーツが他にはほとんどなかったこともあり、野球がうってつけの娯楽となったことは間違いない。事実、北軍内、あるいは南軍内で野球の試合が行われたのはもちろんのこと、何と戦争中だというのに、戦闘を中断して北軍対南軍の試合が行われたことが記録として残っているというから、兵士たちの間で野球が息抜きの娯楽としていかに盛んだったかがうかがえる。

 そして、北軍の勝利で戦争が終わり、兵士たちはそれぞれの生まれ故郷に帰ると思い思いに各地に野球チームを作り、戦争中に楽しんだ野球を広めていったのだ。こうして、南北戦争がアメリカ国内での野球熱を高め、その普及に大きな貢献をしたことは日本にとっても決して無関係ではないはずだ。

 というのは、野球殿堂入りしたホーレス・ウィルソンをはじめ、A・ベーツ、L・L・ジェーンズなど日本に野球を伝えた先駆者たちは、ほとんど例外なく南北戦争に従軍していた軍人だったからだ。だからこそ宣教師として来日してきた彼らは戦時中に知った野球の面白さ、楽しさを日本の学生にも教えようとしたのだろう。

 そうなると、もし、南北戦争がなかったら、アメリカでそれほどまで野球が普及することもなかっただろうし、さらにいうならば、日本に野球そのものが伝えられることもなかったかもしれない。その意味で、日本野球の本当のルーツはアメリカの南北戦争にあるといっても過言ではあるまい。

 アメリカにおける野球の起源は、1905(明治38)年に組織された「ベースボール起源調査委員会」の調べによって1839(天保10)年、アメリカ陸軍のアブナー・ダブルデイ将軍が投げられたボールを打って走るだけであった単なる遊びを、ベースを設けることで1つの競技として確立されたことによるとされ、長年、それが信じられていた。

 ところが、その後、これは委員会によるまったくの作り話であることが判明。現在では諸説あり、明確にはされていないものの、イギリスの球技ダウンボールが移住してきたイギリス人によってアメリカに持ち込まれ、それが次第に野球に変化していったという見方が有力とされている。

 ちなみに、現在のようなダイヤモンド型のフィールドや9人同士で行うルールを考案したのは1845(弘化元)年、アレクサンダー・カートライトという人物によって。このことははっきりとした記録が残されており、どうやら間違いなさそうだ。

 当時ニューヨーク・マンハッタンで地域の消防団に参加していたカートライトは、団員たちのレクリエーションとして野球を始め、「ニッカ―ボッカ―・ベースボールクラブ」というチームを結成した。その際、試合ごとにルールを決めていたのをやめて、統一のルールを策定した。これがいわゆる「ニッカーボッカー・ルール」と呼ばれるもので、現代の野球規則にもつながっていくのである。

 その後、カートライトはニューヨークから金の採掘をしながら各地を回り、野球を伝えていったが、1892(明治25)年、ホノルルで72歳の生涯を終えている。1938(明治13)年、アメリカ野球殿堂入りするとともに、1953(昭和28)年にはアメリカの議会が正式に「現代野球の父」として承認、その功績をいまも伝えている。

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月22日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。