野村克也さんに失敗の歴史あり 名将の“肝いり”でも活躍できなかった男たち

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 今月11日に虚血性心不全で亡くなった野村克也氏。戦後初の三冠王、本塁打王9回、ベストナイン19回など選手として超一流の実績を残しているが、特筆すべきはやはり指導者としての功績だろう。南海では選手兼監督として8年間で6度のAクラス入りを果たし、ヤクルトでは日本一3回と黄金時代を築いた。戦力的に劣る阪神、楽天時代の成績は芳しくなかったが、自身の退任後にチームは優勝を果たしている。ID野球、野村再生工場などその手腕を物語るエピソードは枚挙にいとまがない。しかしそんな野村氏も最初から名監督、名指導者だったわけではない。多くの失敗、挫折があったこともまた事実である。

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 最初の大きな挫折は南海の選手兼任監督時代だ。野村氏の起用法、指導に不満を持つ一部の選手達によって激しい突き上げを受けて、チームは徐々に分裂。南海在籍最後の年となった1977年には、沙知代夫人(当時は結婚前)との関係をグラウンドに持ち込んだことが、公私混同として問題視され、シーズン終了を待たずに解任される事態となった。南海と野村の関係はこれ以降、修復されることはなく、本拠地だった大阪球場跡地のなんばパークス9階にある『南海ホークスメモリアルギャラリー』にはいまだに野村氏の名前は抹消されたままである。

 監督して全盛期だったヤクルト時代も全てが成功だったわけではない。古田敦也という強肩強打の名捕手を育てたことは何よりの大成功だが、主にチームの中軸を担った広沢克己、池山隆寛の二人は野村監督就任以前から活躍していた選手である。野村氏が指揮を執っていた期間にドラフトで入団した野手で後に主力となったのは真中満、宮本慎也、稲葉篤紀、岩村明憲などがいるが、完全に中軸タイプと言えるのは岩村だけである。投手についても岡林洋一、石井一久、伊藤智仁、山部太などドラフト1位が戦力となっているが、石井以外は比較的短命に終わっている。特に伊藤は後年、野村氏が直接謝罪しているが、1年目の登板過多によって選手寿命を縮めてしまったこともあった。また改めて選手の顔ぶれを見てみると、野村政権で主力となった高校卒の選手は岩村と石井だけである。エースと4番は育てることができないとも語っているが、広沢と池山という長距離砲二人が既にいたことは野村氏にとって大きな幸運だったと言えるだろう。

 そして、中軸を任せられる打者がいないことの苦労を味わうことになるのが阪神の監督時代だ。新庄剛志の成長はあったものの外国人選手も全く当たることなく、得点力不足は深刻。頼みの新庄もメジャーに移籍した2001年にはそんな状況を打破しようと機動力野球を掲げ、赤星憲広、藤本敦士、沖原佳典、上坂太一郎、平下晃司、松田匡司、高波文一の7人を『F1セブン』と命名して売り出した。この年ルーキーだった赤星はいきなり39盗塁をマークして盗塁王と新人王に輝き、その後もチームの顔となっている。しかし、その他の6人は藤本が一時期内野のレギュラーをつかみ、高波も守備、走塁のスペシャリストとはなったものの、チームの主力へと成長することはなかった。やりくり上手なイメージの強い野村監督だが、やはり長打力のある選手がいないことにはどうにもならなかった例と言えるだろう。また、覇気が見えないとして積極的に起用されなかった今岡誠は、野村監督退任後に大きく成長し、首位打者、打点王にも輝いている。そういう意味では戦力を上手く生かしきれなかった3年間だったのではないだろうか。

 このように失敗も少なくなかった監督としての野村氏だが、「失敗と書いてせいちょう(成長)と読む」という言葉を残しているように、失敗をその後にしっかりと生かしている。阪神の監督退任後は社会人野球のシダックスの監督を3年間務め、1年目には都市対抗野球で準優勝。当時のシダックスは野間口貴彦(元巨人)、武田勝(元日本ハム)という好投手や元キューバ代表のパチェコ、キンデランなどがいたが、決してそれだけに頼らずに、手堅い守備と隙を突く走塁を前面に出した野球は見事だった。その後、楽天の監督に就任した際にはヤクルト、阪神監督時代にはなかった選手を労う姿を積極的に見せるようになり、またマスコミを上手く活用して選手のやる気を引き出しているように見えた。このような変化があったからこそ、田中将大は球界の大エースとなり、オリックスでは首脳陣と対立していた山崎武司も復活したのではないだろうか。

 数多くの失敗を乗り越え、70歳を過ぎてもなお指導者としての成長を見せた野村克也氏。人は何歳になっても成長することができるということを身をもって示したことが、何よりも大きな功績だったのかもしれない。

西尾典文(にしお・のりふみ)
野球ライター。愛知県出身。1979年生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行う。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月15日掲載

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