99歳の生保レディー「川上二三子さん」 89歳で年間70億円の売り上げ日本一に

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 人生100年時代とはよく言うが、99歳の生保レディーとは聞いた試しがない。50歳からニッセイセールスレディーとして働き出した川上二三子さんは、1月30日で99歳になるという。それを記念して、自らの人生を綴った『99歳、現役です!最高齢ニッセイセールスレディーの生きかた働きかた』(太田出版)を1月末に出版した。彼女はいまだかくしゃくとして、来年で100歳になるとはとても思えない容貌である。高齢でも仕事ができる秘訣を本人に聞いてみた。

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 川上さんが日本生命のセールスレディーになったのは、今から約50年前。

「息子が結婚し、解放されたといいますか、新しいことをやってみようかと思っていたのです。そんな矢先、日本生命で仕事をしていた知人がいまして、お付き合いで保険に入ることにしたのです。知人とその上司の方が、わが家に見えました。保険の説明を受けながら世間話をしたのですが、上司の方は大変礼儀正しく、魅力的な人でした」

 当時、川上さんは保険のセールスレディーに、ある偏見を持っていたという。

「その頃、保険の外交員は、戦争で夫を失った女性が生活のためにする仕事と見られていました。先に話しました保険の仕事をしていた知人の話を聞くと、彼女の子供は一橋大学や東大、東京女子大学に行ったと聞いて、びっくりしました。立派な家庭の方が保険の外交員をやっているのかと思い、偏見もなくなりました。私は、学歴に弱いのです(笑)」

 川上さんは2度結婚している。最初のご主人とは戦争が始まった翌年の1942(昭和17)年に21歳で結婚。が、それもつかの間。一緒に暮らし始めて1週間後に召集令状が届き、満州へ。そのまま帰らぬ人となった。そして7年後、28歳の時に通信社の記者とお見合いして再婚した。

「新しい夫は私より8歳年上でした。奥さんを亡くされ、5歳の男の子がいました。彼の身上書を見ると、本人だけでなく、兄弟や家族の履歴が書かれてありました。東大とか早稲田大学出身者ばかりで圧倒されたのです。私は大学を出ていませんし、家族にも高学歴の人はいません。だから学歴というものにすごく惹かれたのです。すぐに結婚を決めました」

 前述した“息子”とは、再婚相手の連れ子である。

70億円で日本一

 ともあれ、保険の外交員に偏見がなくなった川上さん。これを機に保険に興味を持つようになったという。

「それもあって、知人から『保険の仕事に興味があるなら、いっしょにやってみませんか?』と誘われたのです。私はこれまで専業主婦でしたので、正直困ってしまいました。でも、熱心に誘ってくださるので、だんだん断れなくなってしまって……」

 セールスレディーの研修を受けたのは50歳の時。初めての職で最初はなかなか契約が取れなかった。しかし、3年目に転機が訪れる。

「上司から、銀行の人と親しくなると大口の契約が取れるとアドバイスをもらいました。それで、息子の高校のPTA関係者に相談してみたのです。その方のご主人は都銀の常務でした。私は、日本生命でセールスレディーとして働いていることを話すと、同じ都銀の支店長を紹介していただきました。そして、その支店長のつてで、大口の法人客と契約を結ぶことができたのです」

 この法人との契約で、売り上げは一気に跳ね上がった。全国に5万人以上いるニッセイセールスレディーの中で、売り上げ上位500名に与えられる“グランプリ”を獲得したという。53歳の時だった。

「表彰式は京都のホテルで行われました。泊りがけです。私たち一人ひとりの名前が呼ばれ、檀上で厳粛な表彰式が行われ、その後は食事会です。一番驚いたのは、会社の幹部の方たちが私たちのところにやって来て、ねぎらいと感謝の言葉をかけて、お酒を注いでまわってくれたことです。社長も、セールスレディー一人ひとりに頭を下げて、お酒を注いでくれるのです。ビールやお酒を注ぐのは女性の役目というのが当たり前の時代でしたから、こんな世界があるんだ、と衝撃を受けました」

 川上さんが契約した会社は、IT関連で事業を拡大し、従業員も年々増え続けた。そのため30年連続グランプリを受賞、会社でこれまで約250人しかいない殿堂入りも果たした。一番成績が良かったのは89歳の時で、契約していた会社と大型の保険契約が取れ、約70億円の売り上げで日本一に輝いた。年収は、5000万円を超したことも。

「保険の営業は、時に強引さも必要です。ある時、珍しい食べ物が手に入ったので、懇意にしてくださっている会社の社長の奥様に電話をして、『お送りしますね』とお話ししました。奥様とはよもやま話をしていたのですが、『今さっき別の保険会社の方が見えて、社員の養老保険の契約を進めようとしているところなのよ』とおっしゃるので、その時はセールスレディーの血が騒ぎましたね。『その契約ちょっと待っていただけませんか?』と言いましたが、奥様は『この前、川上さんから案内されて別の保険に加入したばかりでしょう』とおっしゃる。でも、私の頑固な性分はよく知ってらっしゃいますので、ついに折れて『わかりました、いつ来られるの?』と。私は、『明日まいります!』と返事をしました。お客様の気が変わらないうちに動かなければなりません」

 その翌日、川上さんはかなりの養老保険契約を結んだという。

 川上さんは5年ほど前から、日本生命の営業所には出勤していない。顧客は法人1社だけ受け持ち、会長や社長、その家族の誕生日にプレゼントを届け、季節ごとに旬のものを贈る日々という。現在、都内の一戸建てで息子夫婦と暮らしている。

「息子の嫁が、食事を管理してくれています。今は、若い頃のように肉料理はあまり食べなくなり、刺身などさっぱりしたものが好きになりました。特別、健康のために運動とかはしていません。20年前からに糖尿病なりましたが、薬で対処しています」

 99歳になっても現役でいられる秘訣はあるのだろうか。

「80代の頃、胆のうと胆管の腫瘍で、2回手術をしました。どちらも良性の腫瘍でしたので、命に別状はありません。ただ、2回手術をしたことで、仕事を辞めようかと思ったのです。ニッセイセールスレディーでは、60代や70代の方は結構いらっしゃいますが、80代は私だけでした。でも、仕事を辞めると、長年お付き合いいただいた会社の方と縁が切れてしまいます。それを考えると、辞められなかった。この歳まで働いていけているのは、目標があったからです。それは都内に家を建て、海外旅行に何度も出かけ、軽井沢に別荘を持つことでした。一つひとつ達成していくと、モチベーションも上がります。老後のために貯蓄もしないといけないので、100歳までは現役を続けていくつもりです。その先はどうするか、私にもわかりませんけどね」

週刊新潮WEB取材班

2020年1月28日掲載

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