難病1歳殺害未遂事件から見る「出生前診断」の意味 母語る“心の準備が欲しかった”

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命の選別という「出生前診断」に母親の懊悩――河合香織(2/2)

 2016年、遺伝性の難病を抱えた1歳の三男の鼻と口を塞いだとして、当時41歳の母親が殺人未遂の容疑で逮捕された。過去に同じ病気で次男を亡くしていたことから、三男の妊娠時には出生前診断を希望したが、叶わなかった経緯がある。あらかじめ病気がわかっていたら、心の準備ができた――保護観察付き執行猶予を下された母親は、診断を望んだ理由をこう語っている。

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 出生前診断に対する複雑な思いは、成人した長男も持っていた。彼が病気の原因遺伝子を持つが発病しない「保因者」である確率は2分の1である。けれども、将来子どもを作る場合、相手の女性も同じ病気の遺伝子がなければ、子どもには病気は受け継がれない。その確率は非常に低い。それでも、心に澱が残る。

「すぐ下の弟とは年も近くて仲が良かったので、亡くなった時はとてもつらかった。一番下の弟が生まれた時にも、またかわいそうな思いをするのかなと思ったけれど、同じくらい嬉しさもありました。それでも自分は将来子どもが欲しいとは思いません。そしてもしも子どもを持つとしたら、出生前診断を受けたいです。あらかじめ分かるなら、調べないという選択肢は考えられない」

 出生前診断に詳しい産婦人科医師は、「私のところに紹介してくれれば、遺伝カウンセリングができて、このような悲劇が起こらなかったかもしれなかった」と悔しさを滲ませる。

「医師であっても、遺伝の知識に乏しい人が少なくないことが問題です。このお子さんの病気は、専門病院であれば絨毛(じゅうもう)検査などによって出生前診断も可能でしたし、費用も新型出生前診断に比べて格段に高いわけではありません」

 いちばんの問題は遺伝子解析そのものをひき受けてくれる施設がみつかるかどうかだという。

「一般的な検査会社は、生まれてきた小児の難病の遺伝子検査を行っていても、出生前の検査はひき受けてくれません。中絶につながる可能性があるということで一律に検査を拒否しています。命の選別だと出生前診断を忌避する風潮がありますが、それでは本当に苦しむ人を助けられないのではないでしょうか。とくに重要なのは、妊娠する前にあらかじめ専門家の遺伝カウンセリングを受けて、次の子を妊娠したときにどうするかをよく話し合っておくことだったのでしょう」

 産婦人科医師の増崎英明・長崎大学名誉教授は指摘する。

「出生前診断はどんな場合も生命の選別につながると、あまりに画一的に理解し、すべて否定的にとらえる傾向があるように思います。出生前診断に関する議論の多くが、出生前診断というものの一面だけを見ているように思えるのです。たとえば、超音波検査で出生前に胎児異常が発見されたことで、そのまま生まれたのでは生命を落としたはずの胎児を、胎児治療を行うことで助けることもあります」

 実際、増崎氏自身、43年間の医師生活で、出生前診断によって助けることができた命にも出会った。

「出生前診断は優生思想につながるという意見は一面では正しいですが、それを強調しすぎることにも問題がないわけではありません。自分自身や家族がよりよい人生を送りたいと考えるのは普通のことですし、少し極端なことを言えば、多くの人の考えの中には『わが子は他者より優れていて欲しい』という意識は含まれていないでしょうか。長く産婦人科医を職業としてきましたが、これは断定の難しい問題だと思います。他人事として軽く扱ったり、そこから目をそむけてきれいごとで済ませるわけにはいかない、人の尊厳に関わる問題だろうと思います」

「妊娠初期だったら…」

 一方、京都ダウン症児を育てる親の会の佐々木和子さんは、出生前診断には絶対に反対だと言う。

「出生前診断があるだけで、障害者は自分の存在が否定されているような気持ちになります。1年で亡くなる命でも、生まれてすぐに亡くなる命でも、それがこの地球での生命のありようだと思っています。流産してしまうことも多いのに生まれてきたのだから、それだけで大きな意味があります」

 しかし、この母親を責めるつもりはないという。

「母親にすべての責任を押しつける社会には疑問があります。どんな子でもケアする社会、生命をまっとうできるような社会になれば、このお母さんはこれほど苦しまなくてよかったかもしれません。出生前診断は安心のためだとよく聞きますが、たとえ病気や障害を避けたからといっても、この長い人生でなんの安心を得られるのでしょう。傷は傷で持ち続けるしかない、痛みは痛みとして抱きしめるしかない。でもそれをひとりで抱え込むのではなく、支え合える社会であるべきだと思っています」

 最後にいま一度、母親に尋ねた。もしも出生前診断を受けられていたら、あなたはどうしていたのかと。

「やっぱり、難病を患った子が生まれてくるという心の準備が欲しかったんだと思います。どんな結果が出ても生むことは決めていました。でも……」

 そう言った後、彼女はこう呟いた。

「受精卵とか妊娠初期の段階だったらどうだったか。まだ命と言えないかもしれないから、もしかしたら諦めたかもしれない。もう中期になったら中絶なんてできなかったと思います。でも自分のしたことを思えば、何が正解か分からなくなります。私はどうすればよかったのでしょう」

「同じ命なのにおかしいと分かっている」と母親は言う。それは受精卵か初期か中期かの違いだけだろうか。重い遺伝性の難病でもダウン症でも健康体でも同じ命だ。どこからが命の選別なのだろうか。

 私たちが選ぼうとしているものは何か。個人の、母親の責任にすべて帰して、社会として正面から考えなければいけないことから逃げてはいないだろうか。差別を恐れて議論を避けることは、かえって悲劇を生むことになるかもしれない。

 私が母親に会いに行った時点で、三男はなお必死に難病と闘っていた――。

河合香織(かわい・かおり)
1974生まれ。障害者の性の問題を扱った『セックスボランティア』(新潮文庫)がベストセラーに。近著『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(文藝春秋)で、第50回大宅壮一ノンフィクション賞と第18回新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。

週刊新潮 2019年12月5日号掲載

特集「私は遺伝性難病のわが子を手にかけ…『命の選別』という『出生前診断』に母親の懊悩」より

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