松ちゃんの「子供に大喜利を」はかなり深い指摘である

エンタメ 芸能 2019年12月31日掲載

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 OECDの発表に基づき、日本の子供たちの読解力が低下しているらしい!というニュースは新聞、デレビが大きく取り上げることとなった。

 ダウンタウンの松本人志は「日本の子供達の読解力が世界的にみて劣ってるらしい。。。

 学校の授業に大喜利を取り入れるのも良いかもよ。マジで。」と独特のアイディアをツイート(12月3日)。

 さらに12月8日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)でその真意はおおむね次のようなことだと自ら解説を加えた。

「答えのないもの(を考えること)が、たぶん何か役立つと思うんですよ。クイズ番組が正直あまり好きじゃないのは(僕が)アホということもあるんですけど、答えがあるものに僕、あまり興味なくて。何か自分の答えが出せるものがそういうの(読解力など)を鍛えられるような気がするんですけどね」

 番組ではこのあと、松本を含む出演者が、読解力テストに挑戦し、おじさんたちが軒並み苦戦する、というオチがついてしまい、果たして問題は子供だけなのだろうか、という疑問を浮上させた。また、彼の言う「読解力」はむしろ「思考力」のほうを指している可能性もある。しかしながら、松本のアイディア自体は重要な問題を指摘している、とも言えるのではないか。

「大喜利」は、一つの問いに対して、絶対の正解も不正解も存在しない。それどころか最後まで何が正解かも決められない。複数の正解がある世界だ。松本がチェアマンを務める「IPPONグランプリ」(フジテレビ系)などを見れば、挑戦者たちがいかに柔軟な頭の使い方をしているかが伝わってくる。

 ネットで何でも検索できる時代になり、クイズ番組的な「知識」を持っていることがさほどの価値を持たなくなったと指摘されて久しい。松本が言いたかったのは、これからの子供たちには「大喜利」に対応できるような柔軟な思考力が求められる、ということだったのだろう。

 これはアカデミズムの最前線の教育者の問題意識と共通している。京都大学名誉教授で歌人でもある永田和宏氏は、著書『知の体力』の中で、繰り返し「答えがないことを前提とせよ」と説いている(以下、引用は同書より)。

 永田氏も高校生の頃は、「答えのある問題」に取り組んできた。受験勉強に励み、模試でよい点数も取ってきた。それで京都大学に入学できた。その時点までは、合格が目標であり、勉強はいい点数を取るためにするものだ、というくらいの考えだったという。

「勉強には試験がつきものである。勉強の成果は試験の点数で計られる。せっかく勉強したのであるから、いい点数をとりたいが、そのためには正しい答えに辿りつかなければならない。

 しかし、この『正しい答え』というのがなかなか曲者である。そこではまず『正しい答え』があるということが前提となっている。あらかじめ用意された答えがあって、誰が解いてもその一つの答えに到達できるようになっている。試験とはそういうものだ」

 入試などで正解が複数あっては混乱や不公平のもとになるので、絶対に避けなければならないのは当然だろう。しかし、大学や社会でも「正しい答え」が一つしかないという考え方をすることを永田氏は諫める。

「考えてみると、これは怖いことではないか。なぜなら、小学校から高校まで、誰もが一貫して、問題には必ず答えがあるということを前提とし、正解は必ず一つであると思い込んできたのだから。教師の側も、答えが二つも三つもある問題は避けてきただろうし、答えのない問題は出しようがなかった。

 どこかに正解があって、その正解は自分が知らないだけであって、誰かが(たぶん誰か偉い人が)知っていると、頭から思い込んでいること、その呪縛のまま、大学においても同じスタンスで教育を受け、そして社会に出ていく。そんな社会人ばかりが増えていくと考えることは怖しいことではないか(略)。

 問いがあって答えがないという、それまでに経験したことのない宙づり状態に耐える知性。答えがないということを前提に、なんとか自分なりの答えを見つけようとする意志。それにめざめさせるのが、大学の4年間であり、その責務である。誰かに尋ねれば、必ず答えがあるはずだ、与えてくれるはずだという依存症から脱却する必要がある」

 言うまでもないだろうが、松本も永田氏も、「知識は要らない」とか「正しい答えを追求するな」と言っているわけではない。正解の先へ進む心構え、ほんものの知を得るためのスタンスを説いているに過ぎない。

 その真意を読み解かずに、「正しい答えがなければ大変なことになるじゃないか」「子供のうちは絶対の正解を教えるべきだ」などと過剰反応する必要はないだろう。

デイリー新潮編集部