「アンタッチャブル」復活で思い出す“やすきよ” MVPはザキヤマと言われる理由

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ザキヤマさんは西川きよし!?

 そもそも相方が問題を起こしてコンビとしての活動が休止に追い込まれたり、コンビ解散の憂き目に遭ったりした芸人は少なくない。それを思い出しただけでも、アンタッチャブルの特異性は明白だろう。

「ざっと例を挙げても、極楽とんぼ、NON STYLE、インパルス、キングオブコメディ、キングコング、雨上がり決死隊、ロンドンブーツ1号2号……という具合です。山崎さんと柴田さんの間には不仲説が報じられたこともありますし、不仲を否定する記事も出ました。真相はお二人しか知らないでしょうが、山崎さんがピン芸人として視聴者を笑わせ続け、なおかつ『アンタッチャブル』というコンビ名も守り抜いたことで、今回の復活が成功したのは間違いないと思います。いわば留守宅を女房役として守り続けてきたのです。今は復活をプロデュースした有田さんの評価がうなぎ登りですが、本当のMVPは山崎さんではないでしょうか」(同・番組制作スタッフ)

 このスタッフ氏はアンタッチャブルの復活劇を見ながら、横山やすし(1944~1996)と西川きよし(73)の「やすきよ」を思い出したという。

「1966年にコンビを結成すると、すぐに2人は関西で人気を獲得、東京進出に成功します。ところが70年にタクシー運転手への傷害事件などで謹慎に追い込まれます。1人ぼっちになった西川さんはピン芸人とならざるを得なくなりますが、お笑いの才能だけでなく、司会にも向いていることを示し、まさに災い転じて福と成す、という状況になります」

 アンタッチャブルと同じように、西川も「やすきよ」の解散は選択せず、横山の復帰を待ち続けた。そして、この判断がコンビを大きく成長させることになった。

「横山さんは中学からラジオ番組で人気の漫才師、まさに天才少年でした。しかし相方に恵まれなかったこともあり、その後は低迷します。それを救ったのが吉本新喜劇の研修生だった西川さんですが、やはり当初は横山さんが主であり、西川さんは従だった。ところが西川さんが待ち続けたことで上下関係が崩れ、才能ある2人が対等にぶつかる漫才に切り替わったんです。共にボケとツッコミを自由自在に入れ替えるスタイルは、たちまち全国の視聴者を爆笑させ、80年代のMANZAIブームを牽引することになりました」(同・番組制作スタッフ)

 やすきよの場合は、西川の政界進出によってコンビ仲が悪化したという悲劇の歴史がある。だがアンタッチャブルにそんな心配は必要ないだろう。年末年始のお笑い番組が楽しみという向きも多いのではないだろうか。

週刊新潮WEB取材班

2019年12月8日掲載

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