大橋巨泉未亡人「なんで私を亭主と同じように扱わないの!」、土産物店幹部を解任

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「大橋巨泉」未亡人と土産物店幹部の金銭トラブル(1/2)

「11PM」「クイズダービー」で名を馳せた大橋巨泉が世を去って3年。カナダから未亡人に届いたのはラブレターならぬ、請求書だった。夫が遺した土産物店の幹部がクビを切られ、金銭を要求。しかし、「倍率ドン!さらに倍!」と、増額するわけにはいかないようなのだ。

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 思えば、今年は結婚から50年となる節目の年だった。しかし、待ち受けていたのは金婚式ではなく、金銭トラブル――。

「11PM」や「クイズダービー」で司会を務め、3年前に82年の生涯を閉じた大橋巨泉といえば、伊達メガネとその軽妙な語り口が人々の脳裏に色濃く残っている。1990年にセミリタイアすると、季節ごとに居心地の良い国で過ごし、世間からそのライフスタイルが注目を集めた。中でも、巨泉が愛したのは、カナダだ。その地に、巨泉自身が経営し、「ぼくの分身」とまで形容した土産物店がある。

 ところが、店の運営会社の日系カナダ人幹部、山田義之氏(60)=仮名=が本誌(「週刊新潮」)にこう漏らすのだ。

「34年もこの会社に捧げてきたのに……。寿々子(すずこ)さんの仕打ちにこのままでは、到底納得できません」

 この幹部が穏やかならざる心中を告白するに至ったのは、巨泉の妻・寿々子氏(71)との間に争いが起こっているからである。その経緯に分け入る前に、まずは、巨泉と妻、そしてカナダとの関わりを説明せねばなるまい。

 大橋夫妻の出会いは68年にまで遡る。当時、ニッポン放送でパーソナリティを務めていた巨泉は、アシスタントを務め、浅野順子という芸名で女優として活動していた寿々子氏と出会う。バツイチだった巨泉は翌年に寿々子氏と再婚。彼女が21歳だったこともあり、「少女誘拐」などとマスコミに騒がれた。結婚後は、あえて子どもを作らず、その愛妻ぶりはつとに知られていた。例えば、亡くなるまで朝晩の“チュー”は欠かさなかったと言われる。

 そんなおしどり夫婦に危機が訪れたのは2005年のこと。巨泉が胃がんに罹っていることが分かり、摘出手術を受け生還するも、13年、今度は中咽頭がんに罹患。転移を繰り返しながら、16年に亡くなるまで11年に亘る闘病生活を送ることになる。それを陰で支えたのが、寿々子氏だったのだ。

 その未亡人との間にどんなトラブルがあったのか。舞台となるのが、先に触れた土産物店だ。1973年に巨泉が手掛けた、カナダの「OKギフトショップ」のことである。

 芸能記者が言う。

「創業の2年前、巨泉さんが『11PM』の取材でカナダを訪れたことがお店を出すきっかけでした。その際、現地のコーディネーターをしていた日系カナダ人のゴードン門田さんと出会い、意気投合。2人で土産物店をオープンすることになったのです」

 大橋と門田の頭文字が店名の由来。当時は海外渡航が自由化され、折しも、空前の旅行ブームが巻き起こっていた。

「1号店がバンクーバー。イヌイットやカナダ先住民の手工芸品も扱い、ほどなくして日本人観光客の間で話題になった。その波に乗って、事業も拡大していったのです」(同)

 現地ジャーナリストが後を継ぐ。

「OKギフトショップはバンフ店、ナイアガラ店をオープン。80年代から90年代にかけて、オーストラリアとニュージーランドにも出店。全部で7店舗にまでなりました。カナダの運営会社はそのうち3店舗を経営。現在の従業員は20名程度です」

 そのOKギフトショップへ85年に入社したのが、先の山田氏だった。オーストラリアなどへの赴任を経て、2008年、バンクーバーに戻って以来、同地で働いていた。

 また、かつては巨泉の妹と婚姻関係にもあり、いわば「元親戚」に当たる人物だ。その山田氏が当時の夫妻についてこう語る。

「巨泉さんは非常にせっかちな人で、食事の時間も毎日同じ。ルーティンが厳密な方でした。その暮らしを支えたのが寿々子さんです。身の回りの世話は全て彼女がやっており、彼女がいなければ巨泉さんはここまで上りつめることはできなかったと思います。しかし、それはあくまで実生活でのこと。会社の経営に彼女は一切関わってきませんでした。何か口を挟もうとするなら、“寿々子は黙っておけ!”と巨泉さんから怒号が飛んでいましたからね」

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