山田涼介の努力がすごすぎる 競争社会ジャニーズをいかに勝ち抜いたか

エンタメ 芸能 2019年10月31日掲載

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 ジャニーズたちの“努力”に焦点をあて、そこから彼らの仕事観や人生哲学に迫った拙著『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)。そこでは中居正広や木村拓哉、堂本剛、櫻井翔、滝沢秀明、中島健人など16人のジャニーズにフォーカスしたが、もちろん血の滲むような努力を積み重ねてきたのは、彼らだけではない。

 本稿では、主演映画「記憶屋 あなたを忘れない」の公開が来年1月に控える、Hey! Say! JUMPのセンター、山田涼介の努力の軌跡に迫りたい。(「元祖ジャニヲタ男子」/WEBマガジン編集長・霜田明寛)

奇蹟は努力でたぐり寄せる

 山田涼介はこう語っている。

「ジャニーズほど競争率高い社会はない」(「STORY」2014年8月号)

 いかにして山田はその競争を勝ち抜いてきたのか――。
まずは時計の針を15年前に戻し、山田涼介と筆者のささやかな“因縁”から始めてみたい。

 2004年8月、筆者はジャニーズJr.のオーディション会場にいた。
 テレビ東京の「Ya-Ya-yah」という番組でおこなわれた公開オーディションだったため、会場はテレビ東京の神谷町スタジオ。小学生から中学生のティーンエイジャーが大半をしめる会場の中で、18歳の大学生だった筆者は、タッキー&翼の「夢物語」を必死に踊った。
 会場の中に、まあるい顔をした、かわいい顔の男の子がいたのをはっきりと覚えている。
 名前を、山田涼介といった。
 オーディション会場での一瞬の邂逅から15年。ジャニーズJr.のオーディションを通過し、ジュニア内の競争を勝ち抜いてデビューを果たし、そして、グループのセンターに立つ――。
 それは奇蹟のようにも思える。だが山田はこう語っている。

「奇蹟は願うだけでは叶わない。努力してたぐり寄せるものだと思う」(「anan」2017年 10月4日号)

不遇の時代から、ジャニーズの「ど真ん中」へ

 ジャニー喜多川は、自ら演出を手掛ける舞台で“帝国劇場でフライングをさせるタレント”を慎重に選び、格別な信頼を寄せていたように思う。「フライング」とは舞台で宙に舞う演出のこと。
 舞台の華となるフライングを、ジャニーズが初めて帝国劇場でおこなったのは2000年の「MILLENNIUM SHOCK」。それから約20年、帝国劇場でフライングを続けているのは堂本光一。そして2012年初演の「JOHNNYS' World -ジャニーズ・ワールド-」シリーズでは、山田涼介、中島健人(Sexy Zone)、平野紫耀(King & Prince)と限られた人材にしかフライングをおこなわせていない。

 そんなジャニー喜多川の理想とするステージを作り上げる重責を担いながら、今では数多くのテレビや映画に主演し、Hey! Say! JUMPのセンターを務める山田涼介。嵐の二宮和也をして「ジャニーズのど真ん中」と言わしめた存在である(「Cut」2016年4月号)。
 入所とともに脚光を浴びたような印象を持つ人も多いかもしれないが、Hey! Say! JUMPのデビュー当時、山田はセンターではなかった。今となっては信じられないかもしれないが、ジュニアの頃から不遇の時代が続き、目の前スレスレに通ったチャンスをなんとか掴んで今の場所まで昇りつめた男なのである。

 2016年のフジテレビ月9ドラマ「カインとアベル」に主演した山田はこう語っている。

「ドラマに主演させていただいたり、グループのセンターに立たせていただいたりするより、期待されない時期のほうが長かった」(「AERA」2016年11月7日号)

「何もせずにここに立たせてもらっているわけじゃない」(同上)

 その“期待されない時期”に、山田はどんな努力を積み重ねてきたのか――。

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