佳子さま「日本にいたくない」、紀子さまはエゴサーチで絶句…秋篠宮邸に響く怒声

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〈日常的に口論になってしまう〉

 その苦境から脱するべく、ご夫妻はしばしば話し合いをもたれており、テーマは「小室問題」から佳子さまのお振る舞い、また将来のお世継ぎである悠仁さまの教育など多岐にわたるという。が、もとよりご一家が厳しいお立場にあるとの前提から、お話のトーンはおのずと悲観的になってしまい、

「妃殿下は『どうしてこうなってしまったのでしょう』『だから言ったではないですか』などと、もっぱら現状を嘆くお言葉を口にされるのですが、そこはかつてお子さま方に“導火線が短い”と指摘された殿下のこと、ついエキサイトされて『違う』『うるさい』と声を荒げられる場面もしばしばある。挙げ句、妃殿下が涙を見せられることも珍しくなく、時には泣き崩れられることもあります」(同)

 かつて眞子さまと佳子さまはそれぞれ、ご自身が成年を迎えられた際の会見で、父・秋篠宮さまについて、

〈昔は全般的によく怒る、それしか言いようがない〉

〈日常的に口論になってしまう〉

 などと明かされていた。その怒りのお相手を今、紀子妃が引き受けておられるわけだが、秋篠宮さまの“導火線”については、職員の間でも知られていたという。さる宮内庁関係者が言う。

「平成の時代、皇太子さま(当時)や雅子さまのお誕生日などには、東宮御所でお身内の祝宴が開かれていました。御所からは両陛下(当時)がお出ましになり、秋篠宮さまも紀子さまとご一緒に出席されていた。ところが、ご到着後に会食のお部屋へとご案内する際、東宮職がちょっと外していてご案内が遅れたりすると、秋篠宮さまは語気を強めて『いつまで待たせるのですか』『私の席はどこなのか。早く案内してください』と急き立てられていました。突然のことで戸惑う東宮職に代わり、時には皇太子さまが間に入って取りなされたこともあったほどです」

 そうしたご気性の秋篠宮さまと、職員に対して仮借ない要求をなさる紀子妃。秋篠宮家が宮内庁きっての「ご難場」とされる所以でもあろうが、そのうえ諍いが展開されるとあっては、先述の通り佳子さまが国外脱出を望まれるのも無理からぬ話か。

(2)へつづく

週刊新潮 2019年10月17日号掲載

特集「『秋篠宮邸』に響く怒声」より

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