山口組兄弟分が明かす、横山やすし「吉本解雇後」最後の7年間

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お金が苦しくなったら

 現役を既に退いた中野太郎は目下、竹垣の言葉を借りれば、「満足にコミュニケートできない」体調で、やすしの世話を誰が頼んだかについては、歴史の闇に消えていく他ないようだ。

 一方でやすしは、89年の4月に吉本興業から解雇を通告されていた。その直前に起こした飲酒人身事故が直接のキッカケだが、それまでに積み重なっていた20近い不祥事こそやすしのクビをじわじわ締め上げたし、不世出の芸人を庇い続けた吉本をボディブローで攻め立てていたのは間違いない。そして、漫才をやめた寂しさを慰めてくれるのは、これまで以上に自宅での酒しかなかった。竹垣の電話に「横山です」と、飛びつくように出たのも無理はない。

「やっさんは大阪の摂津の家から、新幹線やのうて(じゃなくて)普通の快速に乗って、姫路の私の家に来ました。初対面の時点で既に酒飲んでましたね。勢いがついてて調子良かったもんね。食事して韓国クラブへ飲みに行って……。5万か10万円か渡して、帰りは電車がないから摂津までクルマで送って行きました。若い衆は喜んでました、あのやっさんやから」

 摂津~姫路は往復で3時間もかからないから、竹垣が同乗することもままあった。

「約束とかはなくてね、やっさんから“姫路行ってええか?”って電話かかってくるんですわ。摂津の家で、啓子さんと、その後に漫才師になる娘のひかりちゃんと一緒に暮らしてました。ひかりちゃんがまだ小さい頃やったし、お金が苦しくなったらウチへ来れば小遣いは貰えるから、そこは必死やったんでしょう」

 口にするのは、いいちこなどの焼酎の水割り。それこそ水のように飲み続けるのだという。

「たいていは、“アイアイサー”言うて楽しそうにしてるんですがね。やっさんはタバコがえらい嫌いで。いつも行く韓国クラブの店長と、“俺の前でタバコ吸うな言うとるやろ”“やかましわい、ここはわしの店や、気に入らんねんやったら帰れ”って口論になってました。だから若い衆も含めて、やっさんの前ではタバコ吸わんようにと言うてました。落ちぶれても芯は崩れてへんかったんでしょう。その強さは息子の木村一八への期待と繋がってたのかなぁ。夢を託してた印象ですね。“一八に賭けとんねん。一か八かのイッパチや。一八はこれからもっと大きなるで”と。そんな一八と私は今度Vシネマで共演するんですよ。セリフは二言、三言と少ないですが……」

 かつてと違って、存在感のある暴力団組長役だという。

 ところで、やすしが自棄になり悪い酒に頼るようになったのは、「きよしが86年の参院選に出馬したから」というのが定説になっているのだが、

「“キー坊とはずっと一緒にやってきたんや”と言うだけで恨み節とかは一切なかったです。吉本興業への不満も全く言わへんかったですね。私も血の気が多いから、“吉本カチコもか、師匠”って言うたら、“いや、そんなんせんでもええ”と。おしなべて、過去を振り返ってどうのこうのって感じじゃなかったね」

 またある時は、

「“漫談でも何でも一つ”と客から無礼なリクエストがあっても、“キー坊あってのワシやから”と殊勝な答えで応じず、代わりにと言うてはなんやけど、十八番を歌うだけやったね。曲は『俺は浪花の漫才師』。チップはもろてなかったです」

〈十八番を一つ歌うだけ 妻には涙を見せないで 子供に愚痴を聞かせずに 男の嘆きはほろ酔いで……〉と、酒量を除けばあたかも河島英五の歌の世界である。(文中一部敬称略)

(2)へつづく

週刊新潮 2019年8月29日号掲載

特集「『山口組』兄弟分が明かす『それからの「やすし」』」より

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