夏目雅子、知られざる40年前の悲恋…お相手の幼なじみ男性が語る真相

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 美白全盛のいまとなっては時代遅れだが、夏目雅子の褐色の「クッキーフェイス」は、1977年夏には健康的な女性の象徴だった。その後、残念ながら不幸の象徴になる彼女は、悲恋という知られざる不幸の逸話も残していた。

 女優業にも脂が乗った美しい盛りに、夏目は急性骨髄性白血病でわずか27歳で逝った。前年に結婚した作家の伊集院静氏とは、くだんの「クッキーフェイス」をキャッチにしたCMの撮影で知り合ったという。

 妻がいた伊集院氏を“略奪”するのに数年を要したように語られるが、

「彼女が“結婚してもいいよ”ということで、四国にある私の実家に、新幹線と宇高連絡船を乗り継いで一緒に行ったんです」

 と語るのは夏目と同世代の実業家、山下康夫氏(仮名)で、80年ごろのことだという。実は、夏目とは幼なじみでもあるそうで、

「私の実家はお寺で、父は小達(夏目の旧姓)のおじいさんと付き合いがあった。小達家は御典医の家柄で、私の実家から薬草を送っていました。家どうしは古くから関係があったのです」

 2人はやがて、家を離れた接点を持ったという。

「彼女は水着姿になったとき、お兄さんに“うちはそんな家柄じゃない”と怒られ、暴力も振るわれて、相談を受けたんです。私はお相撲さんの運転手をしていて車があったから、よく乗せてあげるようになりました。府中の撮影所まで迎えに行ったり、彼女が住んでいた横浜まで送ったり。渋谷区の私の借家にはいろんな人が出入りしていて、彼女も時々寝泊りするようになりました」

 そうするうちに、関係も深まったそうで、

「彼女がロケなどで地方に行くたびに、私も隠れてついて行くようになった。撮影中は、私は独りで遊びに行き、夜こっそり会う。マネージャーにもバレませんでしたよ。こんなかたちで付き合い出したんです」

 こうして、夏目は山下氏と四国に向かうことになったわけだが、

「後で聞いたんですが、私の親は、私がいないところで彼女に、私をあきらめるように話したようなんです。帰りの道中、“どうしたんだ?”と聞いても、彼女はなにも言わない。それが最後。私のところにパッタリと来なくなった。本人は結婚したがっていて、願望は強かったんですが……。その後、伊集院氏のもとに走ったのでしょう」

 妻子ある伊集院氏との交際がマスコミに発覚したのは82年。その前の恋愛が成就していれば、彼女は違う運命を迎えることになったのだろうか。

週刊新潮 2019年8月15・22日号掲載

ワイド特集「夏女の打ち上げ花火」より

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