「佐々木朗希」の登板回避、32歳監督はどうすべきだったのか 決断への“批判”“称賛”

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関係者からは厳しい意見

 もともと大船渡は、35年前に1度、春夏の甲子園に出場した経験しか持たない。

「強豪校でもないところに『10年に一人』の選手が出てきちゃったでしょ。だから、学校も監督もプレッシャーを感じていたのは事実です。取材規制もすごく、練習試合は一切、本人への取材はNG。父兄やOBにも“取材が来たら学校に連絡してください”というお達しが出るほど、学校全体が過敏になっていました」(前出・ライター)

 そんな中、4月の練習試合で佐々木が163キロを出す。緊張はピークに達した。

「だから、予選に入ってからの采配にも迷いが見られました。途中で下げたとはいえ、2、3回戦辺りは佐々木君が投げなくても良かったと思いますし、一方で4回戦では194球も投げさせている。故障予防が第一ならこれはマズイでしょう。準決勝も129球投げていますが、ノーシード校が相手ですから、決勝に全力を注ぐ意味でも、先発回避で良かったのでは……。言っていることと実際のマネージメントがチグハグでした」(同)

 実際、同校野球部の関係者に聞いても、

「勝つ気がなかったのかね。ゲームプランが全く出来ていない。まるで思考停止状態です。私立だったらクビ。OB会から解任要求が出るんじゃないか」(さるOB)

「自分たちの野球が出来ない中で夏が終わってしまった。選手たちが惨めでかわいそうですよ」(ナインの元指導者)

 と手厳しい意見が出るけれど、これもまた詮無いことだろう。なにしろ監督は30代前半の若さ、しかも、指導者になってわずか2校目。そこでかような逸材と出会ってしまったのだから。

 実際、さる野球部の関係者によれば、

「“壊しては一大事だから早く自分の手を離れてほしい”とこぼすことも。決勝後のミーティングでもナインに対し、監督は“自分で死ぬようなことはするなよ”と言ったそうです」

 あまりにナーバスになり過ぎていた彼の心中が見て取れる話なのである。

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