「デヴィ夫人」の“トラブル列伝”が凄い それでもテレビに出演し続ける希有な存在

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

国際編

●79年11月 出禁は違法・名誉毀損とパリのナイトクラブ「レジーヌ」を相手取る

「噂の眞相」(80年1月号)、「週刊女性」(同2月5日号)、「週刊サンケイ」(同2月7日号)が報じたフランスでの裁判だ。そもそもの事件は76年12月に起こった。“パリの夜の女王”と呼ばれるマダム・レジーヌの経営するナイトクラブ「レジーヌ」で、たまたま隣に座った男性に話しかけたデヴィ夫人。だが、男性の連れが「私の彼に気安くしないで!」と言い放つと、夫人がこの無礼な態度を許すはずもなく、平手一発。これをきっかけに同店を出禁になったというのだ。夫人が出禁は違法、名誉毀損にあたるとして、パリの民事際場所に訴え出たのが79年11月。判決が出た80年2月に合わせて、各社が記事にしているのだが、夫人の勝訴とはあるものの、認められた賠償額は1万フラン(約60万円)とも、1フラン(60円)とも……。

●92年1月 米国でフィリピン大統領の孫娘にシャンパングラスで殴りかかり逮捕

 米国のリゾート地コロラド州アスペンで、フィリピンの第4代大統領の孫娘のミニー・オスメニャの顔をシャンパングラスで夫人が殴打。37針を縫う大怪我を負わせて傷害罪で逮捕され、のちに禁固60日、罰金750ドルの判決を受けた。きっかけはこの数ヶ月前にスペインで開催されてパーティの席で、「フィリピンの副大統領になる」と発表したオスメイナに対し、デヴィ夫人が吹き出したことだったとか。米国で再会した2人だったが、オスメイナが彼女のあらぬ噂を吹聴したことが逆鱗に触れた。

●2000年5月 ジャカルタのホテルで地元記者のヅラを飛ばして告訴される

 ジャカルタのリージェントホテルで、ドイツ大使主催の展覧会を訪れた夫人。そこで旧知の地元誌記者と出会い、彼が書いた夫人の私生活の記事を巡って口論に。揉みくちゃとなる中、夫人が転んで唇を切るケガを負ってしまう。だが、記者は夫人に襲いかかられたと主張する。しかも、「私の髪をつかもうとした際、カツラが外れ、それを踏んで夫人が転んだ」と。その後、夫人は暴行容疑で告訴されたと「週刊女性」(00年5月30日号)は報じているが、結末は不明。

次ページ:国内原告編

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。