「陰キャ」がインフルエンサーになったら学生時代のいじめっ子から”死ね”とDMが来た件

国内 社会 2019年7月24日掲載

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陰キャのくせにJK向けWEBマガジン創設

 陰キャは、サブカルチャーのオタクだったり、コミュニケーションを積極的に取ることが苦手であるというイメージを抱かれることが多い。しかし、私は違う。顔はかなり可愛くないものの、トレンドなどへの興味は人一倍あり、外部にコミュニティを広げるエネルギーが誰よりもあった。なんなら陽キャになれるポテンシャルも多少はあったと思う。それを裏付けるエピソードとして、女子高生向けのWEBマガジンを立ち上げたことが挙げられると思う。

 小学校でのいじめを経験して、自分の心身を優先することも必要という考えを持つようになった私は、中学校を休むことが多くなった。少なくとも週に1回、多い時は3回休むこともあったし、保健室通学をさせられることもあった。もちろん、休むことに対する罪悪感はかなりあった。しかし、私にとって学校に行くという極々「普通」のことが、胸が張り裂けるほど辛いことだった。勉強は家や塾でしていたが「学校に毎日行くことで得ることがある」と、両親は小中共に私が学校に行けるように働きかけてくれていた。本当に迷惑ばかりをかけた。

 引きこもることも多くなった中学2年生の時、私はティーンエイジャーと企業が共にマーケティングをするという団体に出会い加入した。ティーンエイジャーの意見を必要とする企業と座談会や会議を重ねる中で、何十歳も年の離れた中高生の意見を真剣に聞く大人の姿を初めて見た。私は、ティーンエイジャーの持つ勢いと言葉にこれほどの価値があるのかということに気づいた。

 そんなティーンエイジャーの価値をもっと広げ正当な評価と報酬を受けられるようにしたいと思うようになり、高校2年生の時に、高校生向けのWEBマガジンを立ち上げた。私ひとりでやった事ではもちろんないが、企画の段階から全て携わり自分で記事も書いた。私は「JKライター」として活動するようになり、その活動は雑誌やメディアで取り上げられるようになった。私には中高生のファンがついた。中高生の意見を必要とする大人のファンがついた。

 でもやっぱり、校門をくぐると一人ぼっちだった。

上がらない自己評価とエスカレートするいじめ

「いじめ」という言葉は正直あまり使いたくない。自分が下だということを認めるような気がするから。でも、今になって「あれはいじめだったわ〜」と話せるようになったのは、当時の自己評価が低すぎたからと気づいたからだ。

 高校に上がったら毎日学校に通うようになった。しかし前向きな姿勢ゆえではなく、「学校を楽しみたい感情は捨てよう」「ここじゃなくても居場所はあるし」という諦めの考えゆえで、とりあえず登校して勉強し、時間が過ぎるのを待つという超絶無気力学校生活を送っていた。

 心を「無」にして学校生活を送っている私に対して、クラスメイトの関心はうざいほど高かった。私が雑誌に載ればその写真を悪質に加工してクラスのグループLINEに送ったり、私がTwitterに載せていた盛り写メを拡大印刷し廊下に張り出したり、と嫌がらせは続いた。今なら「どんだけ私に興味あんだよ、私のこと大好きかよ」と小馬鹿にできるものの、当時の私はその嫌がらせにしっかり傷ついた。同級生から浴びせられる悪口を真に受け、その通りだと解釈しさらに落ち込んだ。

 他の人から高校生でWEBマガジンを立ち上げるなんてすごい!と評価してもらえても、「学校もろくに通えてない」「『普通』ができない」「ブス」という事実が重くのしかかり自己評価を下げ続けた。落ち込む私を見て、母はいつも「みんなあなたを妬んでるだけなのよ」と言ってくれた。しかしそんな言葉は耳には入らなかった。

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